「ベスト」は中森明菜のベスト・アルバムとしては、1983年12月の「メモワール」に続く2枚目です。本作品の発表は1986年4月で、前年末に日本レコード大賞を受賞して、まさに歌謡界の頂点を極めた時期に発表された押しも押されもせぬ「ベスト」アルバムです。

 「メモワール」の時にはすでに大ヒットをとばしていたとはいえ、デビューからまだ2年足らずですから、アルバムを埋めるだけのシングル曲はありませんでしたが、この作品は違います。全13曲のすべてがシングルとしてヒットした曲ばかりです。まさに「ベスト」です。

 収録されているのはデビュー曲「スローモーション」から前年末の「ソリチュード」までの全シングル曲です。このうち、オリコン・チャートで1位を獲得したのは9曲、2位が2曲です。デビュー曲のみ30位、続く「少女A」が5位ですが、その後はもはや1位が当たり前です。

 このベスト盤ではデビューから3年半の中森明菜の軌跡がくっきり描かれています。「ちょっとエッチなミルキーっ娘」でデビューした当時は、声もまるでアイドル盛りでしたが、「少女A」でヤンキーばりばり路線を開拓して、しばらくは両路線が並行してヒットを連発します。

 やがて、彼女のアーティスト魂が花開くようになると、シングル曲には普通のアイドルならば選ばないような実験的な曲が並ぶようになります。「飾りじゃないのよ涙は」から、「ミ・アモーレ」、「サンド・ベージュ」、「ソリチュード」と並ぶともう圧巻です。

 ところでJ-POPなる言葉が生まれたのは1980年代終わりのことですから、この頃にはまだ存在していません。当初は歌謡曲に対置されるポップスを指していたのですが、やがて日本のポップス全般を指すようになっていったのはご承知の通りです。

 用語は過去にさかのぼって適用されるようになり、1980年代の歌謡曲は演歌を除いてだいたいJ-POPと呼ばれるようになりました。アイドルでも松田聖子や小泉今日子などは何の違和感もなくJ-POPと呼んでしまえます。しかし、中森明菜はちょっと違います。

 同じアイドルでもさすがに山口百恵のことをJ-POPとは呼べないように、中森明菜はやはり歌謡曲に分類したいです。彼女のシングル曲の作曲や編曲にはしっかりと最先端のアーティストがかかわり、曲自体も実験的になっていきます。

 しかし、中森明菜の歌唱には「情」とか「恨」とかそういう言葉が似合います。意匠はかなり違うものの、新しい演歌といってもおかしくありません。その意味ではまさに山口百恵の後継者として歌謡曲の女王の座を射止めたといえます。実に正統派歌謡曲だといえます。

 中森明菜の歌謡界への貢献はとても大きいものがあると思います。中森明菜が歌謡曲を完成させた、そんな言い方もおかしくないかもしれません。その意味では沢田研二と重なる部分があります。彼女がいなかったとしたら1980年代歌謡界はつまらなかったでしょう。

 彼女はこの作品の後もヒット曲を量産するのですが、ことカラオケで歌うとなると本作品と直前に発表された「ディザイア」くらいまでではないでしょうか。しかし、中森明菜のアルバムの中で最も売れたのは後の「ベストII」です。なかなか複雑なキャリアのアーティストです。

Best / Akina Nakamori (1986 ワーナー・パイオニア)

*2012年7月10日の記事を書き直しました。



Tracks:
01. スローモーション
02. セカンド・ラブ
03. トワイライト~夕暮れ便り~
04. 北ウイング
05. サザン・ウインド
06. Sand Beige ~砂漠へ~
07. Solitude
08. ミ・アモーレ
09. 飾りじゃないのよ涙は
10. 十戒(1984)
11. 禁区
12. 1/2の神話
13. 少女A

Personnel:
中森明菜 : vocal