このアルバムが録音されたのは1992年9月20日から22日の三日間です。サン・ラーが亡くなったのは翌年5月ですから、本作品は最晩年の作品で、スタジオ録音されたアルバムとしては最後のものです。思わず合掌してしまうアルバムです。

 そんな事情があるものですから、この作品は何となくサン・ラーの作品として扱われる傾向が強く、私の手元のCDもサン・ラーの作品を集めたボックスの中の一枚です。しかし、正確には本作品はバイオリン奏者ビリー・バングのリーダー・アルバムです。

 メンバーはバイオリンのビリー、ピアノとシンセサイザーのサン・ラー、ベースにジョン・オア、ドラムにアンドリュー・シリルの四人というカルテット編成です。アーケストラにビリーを迎えたわけではなく、ここではサン・ラーはサイドマンとしての参加です。

 アルバムは「トリビュート・トゥ・スタッフ・スミス」と題されている通り、スウィング時代の名ジャズ・バイオリニスト、スタッフ・スミスに捧げられた作品です。取り上げられた楽曲はスタンダードばかりで、ここもサン・ラーのオリジナルが入っているわけではありません。

 スタッフ・スミスとサン・ラーはシカゴ時代にセッションをしています。サン・ラーのアパートメントで、シカゴ時代を支えたトミー・ハンターが電話帳をブラシで叩き、サン・ラーはピアノと電子楽器ソロヴォックス、そこにスミスのバイオリンというセッションです。1953年のことです。

 長時間に及ぶセッションの結果は、1930年代のヒット曲「ディープ・パープル」1曲のみが後に同名のアルバムに収録されて1973年に発表されています。そこからさらに20年後に発表された本作品には、その「ディープ・パープル」が収録されています。

 サン・ラーは最晩年とはいえ、本作品収録後の11月には、ビリーと共にヴィレッジ・ヴァンガードで演奏していることを始め、まだまだ精力的に演奏活動を行っていました。喜寿を迎えて、世間の評価も遅ればせながら高まってきました。

 しかし、本作品の演奏は以前とは少し違います。どうやらサン・ラーは脳卒中で倒れた後遺症で身体の一部が麻痺していたようです。そのため、ドラムのシリルによれば、演奏中にメンバーが落ち合うべきところで、サン・ラーが少しずれるのだということです。

 シリルは、それがある種の緊張をもたらしていて、大変面白かったと述懐しています。その話を聞くと、このアルバムの演奏に感じるちょっとした違和感の背景がわかります。かつてのサン・ラーとは異なるのですが、それが別の魅力を生んでいて素敵です。

 どうしてもサン・ラーの話ばかりになってしまいます。ビリーにとっては不本意かもしれませんが、滅多にサイドマンとして演奏しないサン・ラーと、彼の最晩年に共演したのですから、どうしてもそうなってしまいます。むしろより多くの人の耳に届くと良い方向に考えるべきです。

 ビリーの名誉のために言っておきますが、彼の奔放なバイオリンはなかなか素晴らしいです。自由闊達に走り回るバイオリンの音色はさまざまなジャズ・スタンダードに新しい魅力を吹き込んでいます。サン・ラーのピアノとの不思議な相性の良さも楽しいです。

A Tribute To Stuff Smith / Billy Bang (1993 Soul Note)

見当たらないので、サン・ラーの「ディープ・パープル」を。