マイルス・デイヴィスの問題作「ビッチェズ・ブリュー」です。まるでボブ・ディランがエレキ・ギターを手にした時のように、ジャズにファンクやロックの要素を大々的に持ち込んだとして、賛否両論の大議論を巻き起こしたそうです。大化の改新のように実感のわかない話ですが。

 ネネ・チェリーはこの作品を聴いて、「こういうのはすごく気に入ってる。マイルスは、モダンなヴァイブと、ファンクと、エレクトリックな要素をジャズに独特な方法で持ち込んだ人よ」とさらりと語っています。大仰な言葉を使わない、このコメントが一番しっくりきました。

 「イン・ア・サイレント・ウェイ」を終えたマイルスは、新しいバンドでツアーに出ました。このバンドは、マイルスにウェイン・ショーター、デイヴ・ホランド、チック・コリア、そしてドラムにジャック・デジョネットという布陣です。ちゃんとしたライヴ録音がないそうで、本当に残念です。

 マイルスは長めのツアーを終えるとスタジオ入りします。1969年8月のことです。この頃、ロックやファンクのレコードは天井知らずに売れていました。コロムビア・レコードの新社長クライヴ・デイヴィスはマイルスにこちら方面からプレッシャーをかけます。

 本作品は結果的にその要請に応えることになりました。マイルスの全作品の中で唯一、ビルボードのメイン・チャートでトップ40に入るヒットとなり、見事ゴールド・ディスクを獲得しています。商業的にはまさに大成功、かの名盤「カインド・オブ・ブルー」と双璧をなします。

 それを妥協の産物ではなく、音楽的な冒険作で達成するのですから、さすがはマイルスです。発売は1970年に入ってからでしたから、ちょうど時代の変わり目にもあたり、1970年代のジャズを予言するエポック・メイキングな作品になりました。

 メンバーは、中心となるクインテットに加えて、前作に続いてジョン・マクラフリンとジョー・ザヴィヌル、チックのリターン・トゥ・フォーエヴァーのレニー・ホワイト、ウェザー・リポートでも演奏したドン・アライアス、バスクラリネットのベニー・モウピンなどの若手が参加しています。

 マイルスはこうしたメンバーによる演奏が始まると、「オレは指揮者のように監督し、音楽が発展し、まとまっていくにつれて、その場で誰かに楽譜を書いたり、オレが考えていることを演奏するように指示したりした」といいます。ダイナミックな創造風景です。

 そして、プロデューサーのテオ・マセロに「テープを休みなく回しつづけて、演奏を全部レコーディングするように指示し」、テオは「一度もオレ達に口出しすることもなく、すべてを、それもすばらしいサウンドでレコーディングし」ました。3日分まるごとです。

 これを2枚組全6曲に編集したのが本作品です。「インプロヴィゼーションがあのレコーディングのすべてで、それこそが、あの音楽をあんなにすばらしいものにしたんだ」とマイルス。編集の腕も大したものです。もわーっと反復するリズムに絡みつくフレーズ。かっこいいです。

 ジャズ的な緊張感を味わいつつ、ファンキーでロックな演奏を聴いているととても幸せです。エレクトリックかどうかを問うことは全く無用ですが、フュージョンの台頭を決定づけたというジャズ界の大化の改新は知識として知っておいてもよさそうです。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)
「めかくしジュークボックス」ザ・ワイアー編(工作舎)

Bitches Brew / Miles Davis (1970 Columbia)