ヴァンゲリスの1984年作品「大地の祭礼」です。かつての難解なプログレ男というイメージは完全に過去のものとなり、「炎のランナー」や「南極物語」などで商業的にも大きな成功を収めた後にマエストロとしてのヴァンゲリスが発表した作品です。

 その成功はヴァンゲリスにとっては少しやっかいなことだった様子で、この作品について「音楽が作りたかったから作ったんだ。ミリオン・セラーを作ろうと思ったわけではない」と語っています。ヴァンゲリスはレコードが売れると嬉しいけれどもそれが目的ではないと言い切ります。

 「そもそもだれも何がコマーシャルで何がそうでないのか分かっているわけではないんだから、どっちにしてもコマーシャルな成功を保証することなんてできっこない」というわけです。ヴァンゲリスにとっては売れてしまったこととの折り合いが必要だったのでしょう。

 「大地の祭礼」はヴァンゲリスにとって久しぶりの純粋音楽であると言われます。その心はサントラではないということに尽きます。ヴァンゲリスは「売れれば嬉しいけれども、私はまず第一に自分のために音楽を書いている」と言っており、本作品はそれを実践しています。

 とはいえいかにもサントラっぽいタイトルではあります。ジャケットは蟹が走っている姿だと思っていましたが、よく見ると後ろから見たゲンゴロウです。となるとこれは大自然のドキュメンタリー作品へのサントラではないかと思うのが人情というものです。

 しかし、この作品はそうではありません。ヴァンゲリスが大自然に生きる生物たちからインスピレーションを得て、自らの頭の中でコンセプトを作り上げ、それを音楽化したという意味でのコンセプト・アルバムです。いわば標題音楽です。

 曲名はすべて「ムーヴメント」とされ、それが1番から5番まであります。全部で50分弱の目くるめくシンセサイザー・ワールドが展開されていきます。甘々のメロディーや耳を奪うリズムが出てくるわけではなく、極めて落ち着いた美しいシンセ・サウンドが続きます。

 アルバムはいきなり嵐の音から始まります。ここらあたりはシンセ奏者の強みです。サンプリングなのか何なのかは分かりませんが、シンセを中心とした音楽であれば、さまざまな自然音が出てきても何ら不思議はありません。千変万化する音色の一つです。

 この嵐と雨の音が熱帯雨林の濃密な空気を感じさせることで、アルバム全体の雰囲気が固まっているような気がします。その後のサウンドも自然とは切っても切り離せなくなっていきます。極端なドラマも起承転結もいらない自然の姿が現前します。

 後半にはヴァンゲリスの打楽器奏者としての顔が現れます。しかし、そのサウンドも大自然の大きな姿に飲み込まれていきます。ヴァンゲリスは大地と一体化したように、自然の生き物たちの祝祭を寿いでいるようです。そんな情緒的な受け止め方をしたくなるアルバムです。

 この作品は80年代三部作の一つと言われており、サントラでブレイクして以降のヴァンゲリスの原点回帰の試みでもあるといえます。けっして環境音楽とは言えないアテンションを要求する音楽です。ヴァンゲリスの作り出す世界は静かにドラマチックです。

参照:ヴァンゲリス・インタビュー 

Soil Festivities / Vangelis (1984 Polydor)