ジェスロ・タルが初めて全米1位を手にした傑作アルバム「ジェラルドの汚れなき世界」です。原題は「シック・アズ・ア・ブリック」ですが、日本語話者にとっては、邦題の方がずっとアルバム内容を把握しやすくなっています。天晴な邦題と言えましょう。

 イアン・アンダーソンは前作「アクアラング」がコンセプト・アルバムのつもりで作っていないのに、世間がコンセプト・アルバムだと認識してしまったことを逆手にとって、本作品を一大コンセプト・アルバムに仕立てました。実にイギリス人らしい発想です。

 LPではA面とB面でやむなく2曲に分かれてしまいましたが、アルバムは本来1曲だけで構成されています。徹底したコンセプト・アルバムっぷりです。この当時はコンセプト・アルバム流行りでしたけれども、さすがに全1曲は驚きでした。

 アルバムは8歳の少年ジェラルド・ボストックが作った詩にアンダーソンが曲をつけたものです。ジャケットのふてぶてしい少年がジェラルド君です。何とジェラルド君は14歳の女の子を妊娠させたとして訴えられたりもしています。何とも剣呑な少年です。

 ともあれ、そのコンセプトにしたがって邦題の「ジェラルドの汚れなき世界」が出てきます。今でもジェラルド君の消息を尋ねる人がいるそうですけれども、もちろん彼は架空の人物で、実際にはアンダーソン自身が作詞をしています。考えてみれば当たり前ですね。

 実際のコンセプト自身はモンティ・パイソンで育ったイギリス人には理解しやすいようですが、「フィクションとノンフィクションを仕分けできない米国人には難しく、日本に至ってはただただ当惑し、何が起こっているか皆目見当がつかない」ものです。

 そんな風にアンダーソンが言っているくらいですから、モンティ・パイソンが大好きとはいえ、日本人の私にはハードルが高すぎます。ここはテーマがあるとすれば、「才能ある若者の父親との葛藤つきの社会学的な経験」だとしている公式サイトの言葉を示すだけにします。

 さて、前作の後、ジェスロ・タルからはドラムがクライヴ・バンカーからバリモア・バーロウに代わりました。ハーロウもアンダーソンがプロ・デビューする前のブラックプール時代の仲間です。ここにメンバー全員がブラックプール時代の仲間になるという面白いことになりました。

 こうしてバンドの結束が高まった上に、ストレートなロック・ドラムを叩くバンカーに比べてさまざまなドラミング技術を具えたバーロウが加入したことでバンドは活性化し、傑作アルバムを作り上げる土壌が整いました。その結果がこの傑作です。

 アンダーソンは僭越ながらといいつつ、本作品をベートーヴェンの第九にたとえています。確かに44分弱の大曲の構成力はクラシックの作曲家のそれに比肩しうるものです。キャッチーなメロディーも随所に出てきますし、即興も交えた多彩な演奏で飽きさせません。

 前作のようなハード・ロック感はやや後退しており、これまで以上にアコースティック・ギターが印象に残るサウンドがいいです。ジャズやフォークの影響を色濃く映し出したコンセプト・アルバムはさすがは全米1位、見事な作品だと思います。

Thick As A Brick / Jethro Tull (1972 Chrysalis)