マイルス・デイヴィスは1964年7月に初来日を果たしました。マイルスにとっても忘れられない経験だったようです。「飛行機の中でコカインと睡眠薬を飲み、それでも眠れなくて酒もガンガン飲んでいた」マイルスはへろへろの状態で飛行機を降りました。

 「すばらしいことに、彼らはさっと薬を出して介抱してくれ、まるで王様のように扱ってくれた」ことから、「あの日以来、日本の人々を愛しているし、尊敬もしている」そうです。当時のスタッフのご苦労がしのばれます。武勇伝の一つとして語り草になっていることでしょう。

 本作品「マイルス・イン・トーキョー」は、1964年7月14日に新宿厚生年金会館で行われたライヴを収録したアルバムです。マイルス・デイヴィス・クインテットはこの日、スーツに身を包んでの演奏だった模様です。厚生年金会館でジャズというのも面白いです。

 マイルスは他のメンバーがソロをとっている時にステージを降りるのが常でしたけれども、この日本でのライヴではきちんとステージに居残っていたそうです。これも介抱してくれた日本のスタッフやファンへのリスペクトの表し方の一つなのでしょう。

 さて、クインテットからはジョージ・コールマンが脱退してしまいました。リズム・セクションの3人とはあまり合わなかったようですから、これも必然だったのでしょう。後任のサックスにはエリック・ドルフィーの名前もあがりましたが、結局サム・リヴァースに決まりました。

 サムはボストン音楽院で学んだ後、1950年代から活躍しているミュージシャンで、マイルスよりも3歳ばかり年長です。トニー・ウィリアムスが13歳の時に共演していたこともあって、トニーの強力な推薦でこのクインテットに参加することになりました。

 フリー・ジャズ指向の強いサムにとって、マイルスのクインテットはビバップに過ぎると感じられたようです。結局、フリー・ジャズ方面で活躍することになるサムとマイルスは分かり合えない運命にあったのかもしれません。サムのクインテット音源はこれだけになってしまいました。

 このアルバムを聴いてまず思うことは録音の良さです。プロデューサーは伊藤潔ですが、エンジニアが不詳となっているのが残念です。特にちょっともこっとしたベースとくっきりしたシンバルなどリズム・セクションの録音の仕方がいいです。

 各楽器のバランスも素晴らしいですし、まずはこの録音の良さに圧倒されます。アメリカで録音されたマイルスのアルバムよりも数段優れていると思います。そのため、演奏の臨場感が素晴らしく、それだけでこの作品の価値は十分あります。

 サムのサックスはかっこいいとは思うのですが、存在感が薄い気がします。マイルスのトランペットがいつも以上に頑張っていて、聴き終わった後にサックスの印象があまり残らない。しかし、その分、4人の活躍ぶりが何とも素晴らしいです。

 曲は「マイ・ファニー・バレンタイン」や「ソー・ホワット」、「ウォーキン」など馴染みの名曲ばかりで、そんなところにも日本のファンへの気遣いが感じられます。初めて極東の地に降り立ったマイルスご一行による名刺代わりの一発というところでしょう。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Miles In Tokyo / Miles Davis (1969 CBS/Sony)