デレク・ベイリーによる「インプロヴィゼーション」は、「英国が生んだ世界屈指の即興ギタリストが才能のすべてを注ぎ込んだ75年発表の最高傑作!」です。イタリアの名物レーベル、クランプスのサブ・レーベル、ディヴェルソからの発表です。

 1932年生まれのベイリーは、20代前半から10年以上にわたってスタジオ・ミュージシャンをやっていました。「そこで本当にすべてのタイプの音楽をやりました。ロック、タンゴ、ラテンあらゆるものをです」。そのはてにたどり着いたのがフリー・インプロヴィゼーションです。

 インプロヴィゼーションのソリストとして活動を始めるのは1970年くらいからです。この作品は1975年発表ですが、3年以上にわたる即興演奏の録音の積み重ねから厳選された14のテイクを収録していますから、かなり初期の段階の録音ということができます。

 すべてはベイリーが1人で演奏しており、オーバーダブもありません。8曲はエレキ・ギター、5曲が通常のアコースティック・ギター、1曲が19弦に改造されたアコースティック・ギターによる演奏です。曲名はありません。Mの識別子に数字を付けて区別しているのみです。

 ベイリーは、「もう十年以上練習はしていません。演奏です、それはいつも。そして六八年以後、私は演奏にさいして何物も用意したりしていません」と語っています。この言葉がこの作品のサウンドをよく説明しているように思います。

 全く自由な演奏で、次に何が来るのかまるで予想できないサウンドです。通常の意味でのメロディーやリズムは見られず、繰り返しもありません。何度も聴いていますけれども、そのたびに驚きが訪れます。覚えてしまっているはずなのに新しい。

 それに何よりも音がいいです。ぴんと張りつめた弦を弾く音。その硬質な音が何よりも美しい。馴れ合うことを拒否する音です。インダストリアル・サウンドに近いのですが、そちらにある単調なリズムがないだけに、より鬼気迫るものがあります。

 ベイリーが望んでいるのは「即興をやるという必要は別にして、どんなシステムにも組み込まれない仕方で演奏するということ」です。それは簡単なことではありません。そのこと自体が一つのスタイルとして固定していくからです。そうならないでいることは極めて難しい。

 しかし、ベイリーの音楽スタイルはまさにその隘路にはまっていないように思われます。「ある種のスタイルや形式や様式を生み出してしまうこと」が断ち切られていることを感じます。ここまで自由な即興演奏というのはそうそうあるものではありません。

 「一瞬一瞬まさに新しく創造し生きつづけること、そして新しく関わりつづけること、それが私には即興演奏の意味に思えます」。美しい言葉です。ベイリーがギターで生み出し続ける音はその一瞬一瞬が人間の新しい可能性の方向に向かっています。

 「私は過去やひとつのスタイルにこだわるよりも、現在とそして未来の記憶の子供になりたいのです」。何というストイックな人でしょう。かつてステージで見たベイリーの姿を思い浮かべながら背筋を伸ばして聴く作品です。ここはいつも私が立ち返る場所です。
 
参照:「〈なしくずしの死〉への覚書と断片」間章(月曜社)

Improvisation / Derek Bailey (1975 Cramps)