P-モデルが1979年8月に発表したファースト・アルバムです。この頃、日本にも押し寄せたパンク/ニューウェイブの波にのって、P-モデルはプラスチックス、ヒカシューとともにテクノ御三家として大いに話題を振りまきました。

 何かあると御三家や四天王として一括りにしてしまうのは日本の伝統です。しかし、御三家といえば徳川家というよりも、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎を思い浮かべる人が多かった時代に、いくらテクノとはいえ御三家と呼ばれるのはどうだったんでしょう。

 この業界側から取り込もうとするかのような呼称に対してヒカシューは面白がっていたように見えましたし、プラスチックスはまるで我関せずで超然としていました。もっとも嫌がっているようにみえたのはP-モデルを率いる平沢進だったと思います。

 P-モデルの前身はマンドレイクというプログレッシブ・ロック・バンドです。かなり本格的なシンフォニック・タイプのプログレを演奏していたようです。そこにパンクの波が押し寄せ、それに呼応するかのようにマンドレイクは解散、主要メンバーがP-モデルとなりました。

 そこからは話が早い。1979年2月に結成すると3月に初ライヴを敢行し、さらに8月にはインディーズではなくメジャーなワーナー・パイオニアから本作品が発表されています。業界もパンク/ニュー・ウェイブの波を逃すまいとする魂胆がみえみえです。

 ともあれ、結成後こんなに短期間でアルバムを発表することができたのは運が良いとしかいいようがありません。しかし、それがけしてやっつけ仕事になっていないのは、マンドレイク時代の曲のストックもあり、演奏能力も高かった彼らの実力です。

 アルバムはシングル曲「美術館で会った人だろ」で幕を開けます。これが典型的なピコピコ・サウンドから始まり、痙攣的なリズムが踊るというまるでディーボを思わせるサウンドです。これは典型的なテクノ・ポップとしかいいようがありません。

 歌詞もこの時代の宝島少年的な仕様ですし、典型的にこの時代に寄り添っています。続く「ヘルス・エンジェル」は地獄ではなく健康だというこれまたこの時代のジョーク感覚です。面白いのはご当地ソング「亀有ポップ」です。これも皮肉っぽい。

 一方で「ソフィスティケイテッド」や「アート・ブラインド」などアート感覚あふれる曲もあって、元プログレ・バンドだということがよく分かります。P-モデルはこの後どんどん変化していきますが、その種はデビュー作のあちらこちらに見ることができます。

 テクノ御三家の中では最もとらえどころがないバンドでしたが、聴きかえしてみると当時の若者文化のありようを最も典型的に表しているように思います。その意味では大変懐かしい。ピコピコ・サウンドは私たちの青春だったんです。

 ところでP-モデルのメンバーは平沢と秋山勝彦、田中靖美、田井中貞利の4人です。のちに琴吹に中野なるメンバーも参加します。そうです。「ケイオン!」です。こんなところにつながりを発見するのはとても嬉しいことですね。さすがP-モデル!

In A Model Room / P-Model (1979 Warner)