マイルス・デイヴィス自身が「あのレコードは、オレの人生と経歴のすべてをすっかり変えてしまった」という歴史的な演奏がこの「ウォーキン」です。日本では村上春樹さんがこのアルバムを大好きだと広言していることでも有名なアルバムです。

 ややこしいことですが、本作品は現在進行形が使われているものの、同じプレスティッジに残したマラソン・セッションによる現在進行形4作とは関係ありません。全く別のセッションなので注意が必要です。あっちには「ワーキン」もあって混同しやすいです。

 マイルスがヘロインから自力で立ち直って、ようやくニューヨークに戻ったのが1954年の2月、このアルバムのセッションはその2か月後、4月に行われました。時期的にもマイルスの人生の区切りとなることがよく分かります。

 セッションは2回、4月3日と4月29日に行われました。どちらのセッションもリズム・セクションは、ピアノのホレス・シルバー、ベースのパーシー・ヒース、ドラムのケニー・クラークです。録音場所もルディ・ヴァン・ゲルダ―の家のリヴィングで同じです。

 違いはホーン陣です。3日はデイヴィー・シルドクラウトがアルト・サックスで参加、29日はトロンボーンのJJジョンソン、テナー・サックスにラッキー・トンプソンが参加、この結果、3日はクインテット、29日はセクステットとなっています。

 もともとセッションごとに2枚の10インチLPに分かれて発表されていましたが、12インチ化に際してまとめられました。ただし、その際、「アイル・リメンバー・エイプリル」が除かれ、同じセクステットの未発表だった「ラブ・ミー・オア・リーブ・ミー」が追加されています。

 この作品はしばしばハードバップの誕生を告げる名作とされます。ハードバップとは何かといえば、こういう音楽だとしか私には説明のしようがありません。それほど教科書的にハードバップの魅力が詰まった作品です。スピード感あふれるジャズそのものの魅力が満載。

 マイルスは「ビバップの熱気と興奮を甦らせようとし」、さらに「もっとファンキーな感じのブルース、ホレスがやっていたような要素も取り入れたかったんだ」と、そこに「オレとJ.J.とラッキーが加われば、新しい何かが生まれないわけがなかった」わけです。

 ドラムをアート・ブレイキーからケニー・クラークに代えた理由は「ブラッシュが重要だったし、静かなブラッシュをやらせたら、ケニーにかなう者はいなかった」からで、ミュートをつけて吹くために「スウィングして、しかもソフトじゃなきゃならなかった」んです。

 特にセクステットは「コンセプトについて十分確かめ合っていた」ということで、理詰めのマイルスらしいセッションが成功し、「そして確かに、ものすごいヤツが生まれたんだ」と熱いです。それだけのことはある作品で、ザ・ジャズとでもいえるサウンドが凄いです。

 ルディ・ヴァン・ゲルダーの手腕も見逃せません。この頃からプレスティッジでエンジニアとして活躍しだしたルディの録音はそれまでとは一線を画して、生音が美しく響き、低音部分も伸びやかで今に通じるスタンダードな音質が確立しました。名盤にふさわしい録音です。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Walkin' / Miles Davis All Stars (1957 Prestige)