バウハウスの初来日公演は1983年5月のことでした。私が見た渋谷公会堂でのライヴはそれはそれはかっこいいライブでした。一番強く印象に残っているのはアンコールです。本編での盛り上がりが冷めやらぬままに、熱いコールに応えて再登場でまさかの事態。

 彼らが演奏を始めたのは「ベラ・ルゴシズ・デッド」でした。スモークが漂う中、総立ちだった観衆が冷や水を浴びせられたように呆然と立ち尽くしていた美しい絵が強く強く心に残っているんです。そのベース、ドラム、ギター、ボーカルは超絶クールでした。

 ベラ・ルゴシは戦前の名高いドラキュラ俳優です。活躍したのはハリウッドですが、生まれはハンガリーですから、有名なバウハウスのあったワイマール共和国とはそう遠くありません。何よりもイメージの一貫性があります。名前だけでぞくぞくします。

 バウハウスは当初バウハウス1919を名乗っていました。どこまでもバウハウスのイメージを追求しています。1978年に結成された彼らのデビュー・シングルが「ベラ・ルゴシズ・デッド」でした。ジャケットにはもちろんモノクロのベラ・ルゴシの吸血鬼姿。しびれます。

 そしてサウンドがすごい。淡々と刻み続けられるケヴィン・ハスキンスのダブ・ビート、ゆっくり下降するデヴィッド・Jのベース、隙間の多い雄弁かつ自由なダニエル・アッシュのギター、地の底を這うピーター・マーフィーのボーカル。骨格だけの起伏の乏しい音楽がすごい。

 ドラマチックな展開があるわけではない10分弱のこの曲は後のバウハウスのサウンドとも一線を画しています。後にゴシックと呼ばれるバウハウスの楽曲の中でも最もホラーでゴシックな作品だといえます。一つの時代を作った名曲中の名曲です。

 オリジナル・シングル・バージョンは長らくCD化されていませんでしたが、ようやく再び陽の目をみました。それがこの「ベラ・セッション」です。この作品はバウハウスが1979年1月26日に初めてスタジオでレコーディングしたセッションをCD化したものです。

 ここから「ベラ・ルゴシズ・デッド」がスモール・ワンダー・レコードより9月にシングル発表されたのでした。初めてのスタジオ録音でこの名演奏は本当に凄いことです。しかし、本セッションで録られたほかの4曲との落差も大きい。なんだか奇跡の度合いがますます強い。

 ほかの曲のうち、「ハリー」は1982年になってベガーズ・バンケットから「サーチング・フォー・サトリEP」のB面に収録されて陽の目を見ました。「ボーイズ」は再録音されて、ベガーズ・バンケットからの「ベラ・ルゴシズ・デッド」再発に際してB面採用されました。

 また「バイト・マイ・ヒップ」は作り直されて、1983年に「ラガルティジャ・ニック」として発表されました。そうなると全くの初めては「サム・フェイセズ」だけです。この曲はとてもゴシック大王バウハウスの曲とは思えない青春ロックです。

 何度聴いても「ベラ・ルゴシズ・デッド」が飛びぬけています。デビューしたての若者たちが最初のスタジオ録音でこんな名曲をものしたことは本当に奇跡に近い。この頃のイギリスの百花繚乱音楽シーンにあってひときわ高くそびえています。名曲です。
 
The Bela Session / Bauhaus (2018 Leaving Records)