ヴァニティ・レコードの第四弾として発表されたのは、丹下順子のソロ・ユニットであるトレーランスの「アノニム」でした。第一弾と第二弾とプログレ寄りの作品が続き、第三弾のアント・サリーであっと言わせてからの第四弾です。またまた驚きでした。

 といっても当時私はこの作品を入手していたわけではなく、トレーランスの音源に接したのは、ロック・マガジンに付録として付けられていたソノシートが最初でした。確か1980年のことだと思います。曲は「トゥデイズ・スリル」でした。

 本作が発表された頃のロック・マガジンは「ネオ・ダダ」だとか「ジオメトリック・ミュージック」などと冠して、光の速さで変化していく英米のロック・シーンを精力的に系統立てて紹介していました。その流れからこうしたエレクトロニクス・サウンドが発表されるのは自然なことです。

 トレーランスは丹下順子のソロ・ユニットです。本作での丹下の担当は、エレクトロニック・エコー・ユニット付きのシンセサイザー、そしてピアノとボイスです。ここに吉川マサミの「エフェクティヴ」ギターによるサポートが入ります。ダークなアンビエント系エレクトロ・サウンドです。

 ボーカルではなく、ボイスとあるように、この作品はいわゆる歌ものではなくて、ポエトリー・リーディングです。言葉ははっきりとは聴き取れませんけれども、もちろんある程度は意味がとれるくらいのポエトリーになっています。

 ジャケットには「小さな女の子からクワイエット・マンに捧げる」と記されています。英国アヴァンギャルドの大御所ナース・ウィズ・ウーンドことスティーヴン・ステイプルトンが、この一節をタイトルとしたアルバムを発表したことで話題になりました。

 ステイプルトンは彼の有名な「NWWリスト」にもトレーランスの名前をリストアップしています。同時代のミュージシャンとして大いに気に入った様子です。インターネットなどない時代に、わずか500枚限定のアルバムが海を越えていったことに感動します。

 「クワイエット・マン」と言えば、ロック・マガジン読者にはお馴染みのウルトラヴォックスのフロントマン、ジョン・フォックスのことでしょう。小さな女の子、丹下順子からジョン・フォックスへの捧げものであると解釈してよかろうかと思います。

 そう思って聴くとジョン・フォックス期のウルトラヴォックスのエレクトロニクス・サイドを少し思わせないではありません。ただし、彼らならメロディーやリズムでまとめていくでしょうが、こちらはその前のより無機質でモノクロームな電子音楽状態をそのまま提示します。

 アルバム・タイトルに「アノニム」、すなわち匿名とつけてはいますけれども、電子音楽の匿名性はあるものの、ピアノの演奏や極めて普通な声での朗読には丹下の息遣いを感じます。ノイジーなサウンドの中にもパーソナルな手触りがしっかりある電子音楽です。

 ジャケットの写真は路地の東京の写真で有名になる神谷俊美が担当しています。空間を切り取る窓の写真が6枚、窓の外の出来事を眺めながらベッドルームでサウンドを構築するトレーランスの視線を示しているようです。素敵な小さな女の子です。

Anonym / Tolerance (1979 Vanity)