ホッピー神山とビル・ラズウェルがチームを組んで発表したアルバムです。ホッピーとビルはそれぞれ日米の音楽裏番長だと言ってよい存在です。本作は結託した裏番長二人に仙波清彦が引っ張り込まれて、トリオ編成で制作されたアルバムです。

 まず、ジャケットが変です。夏のヒマラヤを背景に仏像、蓮の花、何故かダビデ像がコラージュされ、図の中心から放射状に光線が出ている図柄。これは典型的なニュー・エイジなり、トランス系の音楽のジャケットです。ブッダ・トランス・シリーズ、ありましたね。

 内側には白頭鷲が描かれていることから、そちらがビル、ジャケットの図柄は神山ゴッド・マウンテンのことだとも解釈できます。仏像なので神とは違うわけですが、マウンテンはしっかり書いてありますから。裏面は波にカワセミ、波、波、仙波でしょうか。

 どのような経緯でこのトリオ編成が実現したのかは分かりませんが、日米を行ったり来たりしている人々ですから、いっちょうやるかと思ったとしても不思議はありません。レーベルが神山のゴッド・マウンテンではなく、ヤマハのクレアージュであることは謎ですが。

 アルバム中でとにかく目立っているのは両番長ではなく仙波清彦です。彼のからっからのドラム・サウンドが前面に出てきて、ビルのベースと対峙しています。そのまわりからホッピー神山のキーボードを始めとするさまざまなサウンドが支えるようなイメージです。

 このアルバムでは、仙波清彦がドラム、パーカッション、電子ドラム、ビル・ラズウェルがベースとエフェクトを担当しています。ここまでは普通なのですが、ホッピー神山は、「デジタル・プレジデント、スライド・ゲイシャ、アス・ホール・ボックス、グラム・ポット」担当となっています。

 何のことか皆目見当もつきません。たとえば、確かに弾いているピアノはどこに該当するのでしょう、アス・ホール・ボックスでしょうか、などと考えているととても面白いです。謎解きの楽しみも残しておいてくれているのでしょう。

 アルバムには全部で7曲のインストゥルメンタル曲が収録されています。この曲名も一々知識欲をそそります。ルーマニアの詩人パウル・ツェランがユダヤ人虐殺をモチーフにした作品「死のフーガ」、ニーチェでお馴染み「ツァラトゥストラ」などなど。

 アルバム・タイトルがそもそも何か特別の意味を内包しているのか分かりません。直訳すると「中心となる街、そこには誰もいない」となります。アルバムのダブ的なサウンドを聴いていると、人の気配が確かに薄いということは言えます。

 三人がぶつかり合うサウンドなのですが、決して熱くならずに、徹頭徹尾クールに決めているところがこのアルバムの良いところです。比較的シンプルで力強いリズム隊の縦横無尽の暴れぶりをホッピーが大きな手のひらに乗せているイメージです。

 ホッピー神山の信条は「自由と愛とオリジナル」です。この正々堂々としたアルバムは確かに自由と愛とオリジナルが溢れています。あまり知られていないアルバムですけれども、三人それぞれの個性的な演奏が絡み合って飛ぶ冷たい火花はもっと知られるべきでしょう。

A Navel City / No One Is There / Hoppy Kamiyama & Bill Laswell (2004 Yamaha)