ヴィルヘルム・ケンプは最も長くドイツ・グラモフォンと契約していた音楽家なのだそうです。初めて同レーベルに残した作品は1920年のことで、本作品が1961年と言いますから、この時点ですでに40年以上が経過していることになります。

 クラシックならではの出来事です。ポピュラー音楽で同じレーベルにこれだけ長期間所属することはほぼ考えられません。そもそもそんなに長く活動する人も稀ですし、多くの場合は喧嘩してみたり、レーベルが倒産してみたり。クラシック界は平和です。

 ヴィルヘルム・ケンプとベルリン・フィルによるベートーヴェンのピアノ協奏曲です。この組み合わせは1953年と1961年に5つの協奏曲すべてを録音しており、こちらは1961年のバージョンです。指揮者がフェルディナンド・ライトナーの方です。

 ケンプはベートーヴェンの演奏で名高い人で、ピアノ協奏曲も何度も録音されているようです。音楽評論家の方々から特に評判が高いのはモノラル時代の作品、すなわちずっと若い頃の作品です。私にはケンプ66歳のこの作品も十分凄いと思うのですが、奥が深いです。

 ジャケットにはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番としか書いておらず、これもCD化に際して2イン1とされたことが分かります。どことなく漫画的なベートーヴェンをあしらったジャケットが人気があったのでしょうか。確かにケンプのベートーヴェンに似合う顔です。

 ベートーヴェンというと厳しいイメージがぬぐえないのですが、この作品などはとても柔らかで暖かみのあるベートーヴェン像が醸し出されています。ケンプのピアノの響きがとにかく美しい。中年になってからも技術を高めるために練習室にこもったという修練の賜物です。

 ケンプは「一音弾いてクレッションドのできないピアニストは、本当のピアニストではない」と語っていたそうです。実はちんぷんかんぷんなのですが、何やら凄いということはよく分かります。演奏技術の錬磨に命をかけた人の名言の凄味があると思います。

 もちろん、だからといって厳しい演奏が続けられているわけではありません。むしろ楽しげなピアノが繰り出されていて、心が浮き立ちます。春の野に出て聴きたいようなそんな雰囲気です。曲は「皇帝」なのではありますが。

 ベルリン・フィルを指揮するフェルディナンド・ライトナーもドイツ生まれの指揮者で、ドイツ音楽のスペシャリストとして名高い人です。この録音当時はアルゼンチンのテアトロ・コロンの常任指揮者だったようですから、客演ということになるのでしょうか。

 そのためもあるのか、この作品はわずか2日間で録音されています。ここら辺もさすがに名門オーケストラと名人ピアニストのなせるわざなんでしょう。実に軽々と楽しげな演奏が繰り広げられて素晴らしいです。何といってもピアノの音がきれいだし。

 ケンプは苦手だという人もいるそうですが、このピアノを苦手とするということの意味がよく分かりません。ベートーヴェンの作品はかくあるべしという強い思いがあるとそうなるのかもしれませんが、作曲家を絶対視するクラシック界ならではの感想だなあと思います。

Beethoven : Klavierkonzert Nr.4, Nr.5 / Wilhelm Kempff, Berliner Philharmoniker (1962 Deutsche Grammophon)