ペイル・ファウンテンズはアズテック・カメラと並ぶネオアコの重要バンドです。ネオアコというのはネオ・アコースティック、1980年代英国ニュー・ウェイブの流れの中で出てきた何となくアコースティックなバンドを指す言葉です。多分に和製だと思うのですがどうでしょう。

 ペイル・ファウンテンズのデビュー・アルバム「パシフィック・ストリート」はネオアコ史の中でも半ば神格化されているアルバムです。しかし、英国では評論家筋の評価は高かったものの、セールス的にはさっぱりで、かろうじてトップ100に入るくらいでした。

 一方、日本ではこうしたサウンドは日本人好みということもあって、「青春はいちどだけ」、「悲しみの風景」、「金曜日は別れのとき」などの邦題を背負わされて、大いに盛り上がることになりました。やや方向が違うかもしれませんが、日本はさすがに聴く耳があります。

 ペイル・ファウンテンズのソングライターにしてシンガーのマイケル・ヘッドはリヴァプール近郊の生まれで、ローティーンの頃にデヴィッド・ボウイの曲で音楽に目覚め、リヴァプールのティアドロップ・エクスプローズを聴いてミュージシャンを志しました。

 ここまでは当時の英国の若者としては至極まっとうな音楽嗜好だと言えるのですが、マイケルはバート・バカラックや米国の極上ポップ・バンド、ラヴのファンだったとなると話が変わってきます。このブレンドがまさにネオアコ、ペイル・ファウンテンズがその草分けです。

 マイケルを中心に結成されたペイル・ファウンテンズはインディー・レーベルからシングルをリリースすると、ベルギーのクレピュスキュールからオファーをもらって12インチをリリースします。これがメジャーどころの目にとまり、結局彼らはヴァージンと契約にこぎつけます。

 そして発表されたのがこのアルバムです。プロデューサーにはケイト・ブッシュやザ・キュアーなどを手がけたハワード・グレイを迎えて実に丁寧な仕上がりになりました。当時の流行りでもあったボウイ系列の澄んだボーカルなどとても気持ちの良い音です。

 ジャケットには少年兵士の写真が使われており、アルバム・タイトルに対する強烈な皮肉になっています。しかし、このジャケットだけを見ると、ギャング・オブ・フォーやポップ・グループのようなサウンドが出てくるとばかり思います。姿勢においては変わらなかったのでしょうか。

 サウンドはジャケットとは裏腹にとてもゴージャスで、ジュリアン・コープやボウイの影響のさらにその深層にバート・バカラックやラヴがほの見える薫り高いものです。後にジェイムズでも活躍するアンディ・ダイアグラムのトランペットが他と異なるいい味を出しています。

 さらにマイケルの弟のジョンのギターでしょうか。美しいアルペジオからハードなプレイまで、これぞネオアコというサウンドが堪能できます。メロディーは美しいですし、ボサノバ的な雰囲気も漂い、引き出しの深さも感じさせてくれます。

 彼らは後に渋谷系と呼ばれる一群のミュージシャンからのリスペクトを受けて、日本でも大いに盛り上がりました。ちょっと湿った、いわれてみればアコースティックなサウンドが素敵なザ・ネオアコ・アルバムは、年月とともにどんどん名盤化してきました。

Pacific Street / The Pale Fountains (1984 Virgin)