レマ・レマは1980年に出来たばかりの4ADレコードからデビュー作となるEPを発表しただけで解散してしまいました。しかし、この赤い薔薇を配したジャケット、このゴス直前のサウンドは当時ニュー・ウェイヴ小僧だった私に強烈な印象を残したのでした。

 この作品はレマ・レマが残した各種音源を収録した2枚組編集盤です。1枚は件のEP「ホイール・イン・ザ・ローゼズ」に同時に録音された音源を加えた完全盤、もう一枚はそれ以前に彼らが残していたデモとリハーサル音源で、当時のライブセットをほぼ反映しています。

 レマ・レマは後にマスを結成するゲイリー・アスキス、ミック・アレン、マーク・コックスの三人、後にジェネシス・P・オリッジのサイキックTVに入る紅一点のドラマー、マックス、それにアダム&ジ・アンツで有名になるマルコ・ピローニの5人組です。

 マックスはメンバー募集広告をみて参加したそうで、ヴェルヴェッツ好きだったメンバーはモーリン・タッカーのように音で埋め尽くさない彼女のプレイスタイルを大いに気に入ったのだそうです。彼女のハイハットを使わないドラムはレマ・レマのサウンドの大きな要素です。

 そのマックスはレマ・レマに影響を与えた音楽として、ファンク、とりわけブーツィー・コリンズ、そしてヴェルヴェッツ、カン、クラフトワーク、イーノ、そしてダブ、特にオーガスタス・パブロを挙げています。さらにジャズ、スウィング、フィル・スペクターにモータウン。

 こうした要素を攪拌してモノクロームに仕上げたサウンドがレマ・レマです。湿ったファンクに飛び交うシンセのびゅんびゅん音、この世の終わりのようなボーカル。ゴシックと呼ばれるようになるサウンドが発生する前夜といった風情です。

 彼らは何か月もリハーサルを重ね、いわゆるデモ音源の制作に励みます。その結果が本作で明らかになりました。そして1979年元日に初のライヴを行います。バンド名はようやくこの時に決められました。いいアイデアがなかったので彼らの曲のタイトルからとったそうです。

 その後少ないながらも評判の高いライヴをこなした彼らは1979年夏にスージー&ザ・バンシーズとツアーに出ることになりました。しかし、バンシーズのメンバーが失踪、それを彼らのマネジャーとマークが匿うというややこしい事態になります。

 元メンバーでもあったマルコがスージーに乞われてツアー・サポートをすることとなり、レマ・レマはツアーから離脱してしまいます。マルコもこの状況に嫌気がさし、キュアーのロバート・スミスにバンシーズをまかせた後、脱退を決意します。結果、あっけなくレマ・レマは解散。

 この時までにカリスマ・レコードが彼らに録音の機会を与えており、3曲録音しますが、「エントリー」が不敬だとしてディールは流れます。そこに手を上げたのが出来たばかりの4AD。録音済みの3曲からやはり「エントリー」を除き、ライヴ録音を加えてEPを制作します。

 EP発表時にはすでにバンドは解散していました。マックスは「この作品は葬式のようなものだけど、供花は辞退しない。私たちはむしろ花に埋もれたい」と言っています。強烈な印象を残すサウンドを象徴する赤い薔薇。その赤い薔薇を贈って差し上げたいです。

Fond Reflections / Rema Rema (2019 4AD)