「わたしたちはいま、美しい宝石を得た」と、村治佳織のデビュー・アルバムに賛辞を贈っているのは作家の井上ひさしです。井上は、佳織さんが生まれ育った柳橋を引き合いに出して、「彼女の粋な美しさ」を特筆し、その音は「江戸前で歯切れがいい」と称賛します。

 さすがは大作家です。この描写は見事です。彼女のギターには確かに江戸前の香りが漂っています。粋という言葉がぴったりです。クラシック・ギターですから、江戸前ギターと言われると抵抗があるかもしれませんが、これをキャッチフレーズにして欲しかった。

 この作品は村治佳織15歳のデビュー・アルバムです。前年には東京国際ギター・コンクールにて史上最年少優勝を果たしており、歳は若いものの、待望のCDデビューでした。同年にはデビュー・リサイタルも開催されています。

 どれだけクラシック・ギター界の期待の星であったことか。この作品の充実ぶりを見れば分かります。ブックレットも丁寧です。まずは著名なギタリストであるデビッド・ラッセルの言葉。「これほどすぐれた音楽的能力を身につけた若いギタリストに、かつて会ったためしがない」。

 井上ひさしの献辞、濱田慈郎による村治佳織の紹介と各楽曲の詳細な紹介。英語でさらりと書いてあるので見過ごしそうになりますが、佳織さんの師匠福田進一によるプログラム・ノート。娘を慈しむかのようなスタッフの仕事ぶりです。

 難点は写真です。私は子どもたちが村治ギター教室に通っていたのでご一家とは面識があるのですが、佳織さんは本当に凡百のアイドルをしのぐルックスでした。恐らくはそこを強調してはいけないと思うあまりのことでしょう、この写真はないわあ。ドレスもねえ。

 気持はわかります。ともすればそちらにばかり話題が集まるので、クラシック界としてはそれは避けたいのでしょう。ことさらにアイドル風に撮る必要はありませんが、年相応の自然体の写真で良かったのに。これでは逆にクラシック界の権威が揶揄される。

 選曲は19世紀前半のギター音楽の古典作品が中心です。ただし最初の曲は、バイオリンの鬼才パガニーニの無伴奏バイオリンのための「カプリス集」からの一曲で福田進一がギター用に編曲しています。パガニーニはギターの名手でもあったそうです。

 ジュリアーニの「私の愛する花」からの曲、ジャスミン、ロスマリン、バラを分散して配置していること、レニャーニの「3つのカプリス」を3曲ずつのまとまりに分けていることなどに選曲のこだわりが感じられます。とても丁寧に流れるように聴くことができます。

 ソルやコスト、メルツといったギターを代表する作曲家の曲を配置しつつ、超有名曲はあえて入れないプロフェッショナルな仕様です。福田進一始め、スタッフ一丸となって盛り立てる様が素晴らしい。そこに主役の佳織さんはまだ中学生にして堂々としたものです。

 パガニーニの曲は音楽関係者の度肝を抜いたそうです。超絶技巧で一発かまして、古典も浪漫も小粋に弾きこなすという早熟さ。かといって老成しているわけではなく、江戸前のちゃきちゃき娘のたたずまいも残っているところが魅力です。

Espressivo / Kaori Muraji (1993 ビクター)