「インプロヴィゼーションのみを演奏する孤高のギタリスト、D・ベイリーの登場を世界に告げた歴史的作品」です。デレク・ベイリーは1930年生まれですから、この時はすでに40歳。孤高のミュージシャンゆえに随分遅い本格的なレコード・デビューです。

 正確にはスポンテイニャス・ミュージック・アンサンブルにて本作品に先立つ1968年にレコードを作っていますので、これが2枚目ではありますが、こちらの方がリーダー作品に近いということで、先の形容につながっています。

 本作品に登場するギターのデレク・ベイリー、サックスのエヴァン・パーカー、エレクトロニクスのヒュー・デイヴィス、パーカッションのジェイミー・ミューアの4人は、1968年頃からミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニーとして活動し始めました。

 このグループ活動は1971年まで続き、それが後のベイリーのプロジェクト、カンパニーに連なっていきますが、それはまた後の話。このグループでは完全な即興演奏だけをやるということで、これがベイリーの後の活動の起点ともなっていったわけです。

 彼らの音楽に大変興味を示したのが、ECMレコードを設立したマンフレッド・アイヒャーです。さすがはECMです。お目が高い。しかも彼らにすべてをまかせるというアーティストへの敬意を感じさせる対応です。

 オファーを受けたカンパニーは、1970年8月、ロンドン郊外の農家で演奏を繰り広げ、最良と思う音源のテープを送りました。ECMは約束通り、それをレコードにして発表しました。ジャケットもECMクォリティーです。彼らの音楽にぴったりです。

 ベイリーはこの年には自身のレーベル、インカスを立ち上げていて、そちらから多くの作品をリリースすることになります。その前にこうして有名なレーベルから一枚とはいえ作品が出ているということは大いに彼らの行く末に光を投げかけたことでしょう。

 サウンドは本人が語る通り、「完全な即興演奏」です。しかも、この時代にライブ・エレクトロニクスを使うという斬新さです。デイヴィスはシュトックハウゼンのテクニカル・アシスタントもしたことがある電子音楽の草分けでもあります。

 パーカッションのミューアは後にキング・クリムゾンに参加し、その後音楽活動を辞めて教師になった人です。パーカーはベイリーと同じように即興音楽を極めていきます。彼のライブを一度見たことがありますが、鳥肌が立ち通しでした。

 人は音楽を聴く際に脳細胞のシナプスが次の音を予想しながら聴いているのではないでしょうか。視覚は映像を補っていますから、聴覚も同様だと考えられます。すると、このような完全即興を聴くと、シナプス結合がリニューアルされっぱなしです。

 要するに妙に刺激的です。予定調和がどこにもない。音が脳のフィルターを経由せずに直接やってきます。しかもベイリーは40歳とは言えまだ若い。後のカンパニーに比べると、初心の魅力がつまっています。ここが原点。痙攣的な美の典型的な作品です。

The Music Improvisation Company / The Music Improvisation Company (1970 ECM)