アメリカでカンボジア歌謡とガレージ・ロックをミックスしたバンドとして活動しているデング・フィーバーは、順調に活動を続けている様子で、2003年のデビュー・アルバムがこうしてデラックス仕様で自身のレーベルから再発されました。まことに喜ばしいことです。

 デング・フィーバーの結成は2001年のことです。カンボジアをうろうろしてきたイーサン・ホルツマンは、すっかりカンボジア歌謡の虜となり、買い集めてきたカセット・テープを米国内で販売するなどしていました。その熱は弟のザックにも伝染します。

 そんな彼らが、カリフォルニアのロング・ビーチ近くにあるリトル・プノンペンで歌っていたカンボジア女性チョム・ニモルを口説き落としてボーカリストとしたことでデング・フィーバーが始まりました。ニモルのご両親や友達の反対を押し切っての粘り勝ちです。

 当時、カンボジアからやってきて日も浅かったニモルは英語も頼りなく、歌手とはいえカンボジア人コミュニティーから出たことがなかったそうですが、デビューとなったステージでは豪華絢爛なカンボジアン・ドレスで観客を圧倒したそうです。

 十分な手ごたえを感じたバンドには、ザックのギターの先生のレーベルからアルバムを出すオファーが来ましたし、マット・ディロンが映画に彼らの曲を使いたいと申し出てもきました。さらにAT&Tのコマーシャルに起用されるなど順風満帆な活動を続けます。

 このアルバムは全12曲中、オリジナルは2曲のみで、大半はカンボジアの音楽をカバーした曲です。ニモルはクメール語で歌っており、カンボジア風味満載です。それをアメリカンなギターとオルガンを中心とするガレージ・ロックとミクスチャーしています。

 カバー曲の中でも7曲が1977年にクメール・ルージュの犠牲となった歌姫ルス・セレイソティアの曲です。ニモルは幼い頃にラジオから流れてきた聴こえてきた歌謡曲に心を奪われますが、それこそがセレイソティアの歌に違いないと言います。

 ニモルはカンボジア歌謡を評して、「とても悲しくて、スローでロマンチック。まるで幽霊の声のように響く」と語っています。ゴースト・ボイスはカンボジア歌謡のテクニックの一つなんだそうですが、セレイソティアの話を聞くと確かにそれだけではない表現です。

 デビューしてからアルバム発表まで2年かかっています。この間はカバー曲ばかり演奏してきたということなのでしょう。デビュー作には控え目に2曲のみオリジナルが収録されています。これがクメール語で歌う妙なカッコよさのある曲です。カンボジア愛のなせる業です。

 ニモル以外のメンバーはカリフォルニア近辺でバンド活動をしていた人ばかりです。ザックはディーゼルヘッドなるバンドをやっていましたし、サックスのデヴィッド・ラリックに至ってはベックと共演しています。そんな彼らがカンボジア歌謡を核とすることで結晶化しました。

 ニモルの端正でいて艶っぽいボーカルを軸に、ガレージ・ロックがカンボジアン・テイストで粘っこくまとまったサウンドは肌に溶け込んでいきます。エキゾチックではなくて、とてもクールなカンボジアへのリスペクトに満ちた迫力のデビュー盤でした。

Dengue Fever / Dengue Fever (2003 Mimicry)