カサンドラ・ウィルソンは1998年11月に来日を果たし、ブルーノート各店で公演を行いました。ブルーノート東京で行われたライブは私も見に行きました。そのちょうど10年前にオープンしたニューヨーク・スタイルのジャズ・クラブに相応しいアーティストです。

 実は私のブルーノート東京初体験がこのカサンドラ・ウィルソンのライブでした。お洒落な雰囲気と料理に若干戸惑いながらもカサンドラの歌声を堪能いたしました。と言いたいところですが、私が見た夜のカサンドラは少しお疲れのようでした。

 前作「ニュー・ムーン・ドーター」から3年近くが経過していてもなお私の中ではその印象が強烈でした。あの作品の鬼気迫る感じを胸に抱きつつライブに臨んだわけですが、その日に見たカサンドラは余裕綽々の大御所感が漂っていました。

 若干、イメージにそぐわなかったのですが、しばらくたって発表されたこのアルバムを聴いて、むしろ納得しました。こちらのカサンドラ・ウィルソンがブルーノート東京で公演を行ったのでした。これを先に聴いていれば心の準備も出来たものを。

 この作品は、その名の通り、マイルス・デイヴィスへの「トリビュートというよりは、オマージュという感じよね。マイルスの哲学というか、精神をテーマにしたアルバムなのよ」ということです。マイルスゆかりの曲を多数収録したアルバムになっています。

 今回、カサンドラのオリジナルは4曲、後はマイルスないしはマイルスのバンドのメンバーが作曲した曲にカサンドラが歌詞をつけたもの、あるいはマイルスが好んで採り上げた、スタンダード曲「いつか王子様が」やシンディー・ローパーの「タイム・アフター・タイム」など。

 オリジナルもタイトル曲の「トラヴェリング・マイルス」を筆頭に、マイルスの「哲学というか、精神をテーマにした」曲であろうと思われます。マイルスは常に前進していた人ですから、新しいことを探すこと自体がマイルスの精神でもあるとすれば、楽しかったことでしょう。

 このアルバムの成り立ちは、ジョニ・ミッチェルの「ミンガス」を思わせます。実際、ライナーを書いている佐藤英輔氏がジョニ・ミッチェルの「ミンガス」を引き合いに出したところ、カサンドラが「本当にうれしそうに、ちょっと悪戯っぽくフフフと笑ったのだった」そうです。

 この頃の彼女は20「世紀最期のザ・ヴォーカリスト」と謳われている通り、久しぶりに登場した正統派ジャズ・シンガーとして高い評価を得ていました。その彼女が「帝王マイルス・デイヴィスの崇高なるスピリットに捧げる」作品に挑戦したわけです。

 起用されたミュージシャンは選び抜かれています。そのミュージシャンに「譜面をもとに弾いてもらい殆どテイク1かテイク2で録られたもの」をカサンドラ自身がプロデュースする形で作品にまとめています。まるでマイルスが乗り移ったようです。

 セルフ・プロデュースだけにカサンドラはすべてをコントロールしているようです。前作同様、見事な歌唱に鮮烈な演奏ですが、本作のカサンドラはどこか大御所感が漂っています。ことさらな新しい音楽への挑戦も余裕のなせる技でしょう。

Traveling Miles / Cassandra Wilson (1999 Blue Note)