何となく気になってついつい手が伸びてしまうパスピエです。4作目のフル・アルバムが出たと聞いて早速買ったはいいものの、何となく放置してきてしまいました。改めて聴いてみて、もっと早く聴けばよかったと後悔しています。私にとってパスピエはそういうバンドです。

 前作「娑婆ラバ」から1年4か月ぶりのフル・アルバムで、2016年に発表されたシングルは全て含まれているという良心的なつくりです。タイトルは「&DNA」と付けられています。「1曲1曲がバンドのDNA(の)ように思えたんですよね」と付けられたタイトルです。

 2016年はデビュー5周年だったので、「意識的にまた一からバンドの土壌を作っていこうと思った1年でした」とキーボードと曲作りの成田ハネダは語っています。一度立ち止まって考えてみたということでしょう。5年目はちょうど良いお年頃です。

 前作がわりとゴージャス系のサウンドになっていたのに対して、この作品は少しシンプルがのしてきました。私のイメージするパスピエはむしろこちらのサウンドなので、これまたちょうど良い加減であるなあと思います。

 Jポップを高く評価するマーティー・フリードマンは、Jポップは英米のロックの影響をまるで受けていない独自進化形だというようなことを言います。科学技術の場合にはガラパゴス化はまずいわけですが、音楽の場合はもちろん誉め言葉です。

 パスピエのサウンドはクラシック音楽の影響が色濃いので、リック・ウェイクマンなどのプログレッシブ・ロックの香りを感じることはあるのですが、いわゆる英米のロック・サウンドの影響をほとんど受けていないように感じます。何だか不思議な感覚です。

 この作品も演奏を聴いていると、映画音楽だったり、テレビ番組のテーマ曲だったり、そんな音楽を思わせるところがあります。要するに普通のロックの感覚ではありません。とにかくそこが魅力的です。音色に清潔感が強い。

 成田は、「僕らの曲って一口目は珍味に感じると思うんですよね。でも、三口目から中毒性を感じてもらえるはずだという信念があって」と話しています。これが5年の総括なのでしょう。パスピエの楽曲を見事にとらえています。

 歌詞は大胡田なつきの独壇場です。冒頭の「永すぎた春」から、♪等身大の自分なんて何処にも居なかった♪というフレーズでドキッとします。「やっぱり私はフィクションのなかに聴き手を引きずり込みたいんですよね」というわりにはノンフィクションのリアルさがあります。

 大胡田のボーカルはロリ声でもなくなり、落ち着いた大人のボーカルというわけでもなく、これまた不思議な立ち位置にあります。「夜の子供」のようなしっとりとした曲になればなるほど、ふわふわと漂っている感覚が強くなります。

 折り目正しさは健在で、より懐が深くなりました。大変結構なアルバムですけれども、ひとつだけ不満があります。大胡田のイラストが少ない。大胡田少女が私の毎回の楽しみなのに。ブックレットにはまだ余白がありますよ、と言いたい。次回はもっと描いてほしい。

参照:パスピエ オフィシャル・インタビュー「&DNAのDNA」三宅正一

&DNA / Passepied (2017 ワーナー)