ライナーノーツを書いているのは元ユリイカ編集長の小野好恵さん、阿部薫のコンサートを5回もプロデュースしたという阿部の良き理解者です。阿部薫を語るとどうしても絢爛豪華な筆致になりがちですが、小野さんの熱いけれども静かな文章は心を打ちます。

 「日本のジャズ風土の中に狂い咲きのように現れた天才阿部 薫が衰弱した身体にムチ打って全力投球した本アルバムの表現のリアリティを多くの人に深く噛みしめてほしい」。親交のあった人だけにどこか諦念のようなものが漂っています。

 この作品は阿部薫が初めてメジャー・レーベルに残したレコーディング・セッションをCDにしたものです。トリオ・レコードの稲岡邦弥がプロデュースしたもので、高田馬場駅前にあったビッグ・ボックスのスタジオでのセッションです。録音は1976年3月12日です。

 この頃の阿部は長女の誕生を前にして、その出産費用に充てるためにレコーディングが企画されたということです。万全な状態になかった体にムチ打って行われたセッションは、ピアノ、ハーモニカ、アルト・サックスを阿部がソロで演奏するというものでした。

 しかし、このアルバムが発表されたのは1992年になってからです。「完全主義者の阿部と稲岡氏は更にレコーディングを重ねて、もっと凄い演奏を収録してから発表したかったようだ」とは小野さんの弁です。

 名作「なしくずしの死」はわずか5か月ほど前のライブ録音ですけれども、その間に阿部の体の状態はどんどん悪くなったということでしょうか。「決して悪い演奏ではない」けれども、「70年代前半の鋭い輝きや爆発的パワーは期待すべくもない」。

 しかし、「阿部本来の透明な音色の美しさや狂おしいような抒情はまったく健在なのである」と小野さんは評しています。概ねその通りだとは思うのですけれども、特に44分を超える最後のサックス・ソロなど、元気がなくてやや精彩を欠いているようにも思います。

 ただし、元気がなければいけないというものでもありませんし、その時々のアーティストの状態がそのまま表れるのがフリー・ジャズの本懐でしょうから、これはこれで聴いている方を不安に陥れるコミュニケーションのあり方なのかもしれません。不思議な作品です。

 阿部薫を巡る文章の中で、間章氏のものもやはり外せません。「僕はこの男の誰よりも極北のアルトの音と未来のなさが好きだった」、「いろんな意味でだめな男だったし、身を持ち崩したりした男だったが、同時にこの男はその正反対のものも持っていた」。

 その間章さんが、「僕はこの男を幻のインプロヴァイザーにしようとするあらゆる動きに敵対している」と書いています。小野さんも阿部の伝説的生涯にばかり目が向けれらることに複雑な気持ちを表明しています。

 ともすれば神格化されそうな阿部薫ですけれども、この作品での彼はむしろだめ男、どうしようもなく人間臭い。「3枚のみ残されたスタジオ・レコーディング中、最後の一枚、遂に発見!」。阿部薫のドキュメンタリーにふさわしい作品です。

参照:「さらに冬へ旅立つために」間章(月曜社)

Studio Session 1976.3.12 / Kaol Abe (1992 Vivid Sound)