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 ブーツィー・コリンズが星形眼鏡をかけていない唯一のアルバムだとのことです。本当はああいう奇抜な格好をするのは嫌だったんでしょうか。ジェイムズ・ブラウンのところにいた人ですから、案外自由気儘は苦手なのかもしれません。

 ブーツィーはラバー・バンドを率いていましたけれども、以前から活動していたカントリーのバンドに、ザ・ラバー・バンドがあり、そこの名義所有者から訴訟を受けた結果、ラバー・バンドの名前が使えなくなってしまいました。

 したがって、このアルバムはブーツィーのソロ名義です。ラバー・バンドはツアー・ユニットでしたけれども、ことレコードに関する限り、あまりバンドとしての実態が釈然としません。ですから、ソロになって大きく変わったというものでもありません。

 ブーツィーは前作の頃には心身ともに疲れ切っていて入院するまでになっていました。バンドも解散しましたし、何とも大変な状況になったことを見かねたジョージ・クリントン御大は、いよいよブーツィーを自分の管轄から独り立ちさせることにします。

 このことがブーツィーを再びやる気モードに変えることとなり、リハビリも兼ねてスタジオ・ワークに精を出した結果がこのアルバムです。一応、ジョージ・クリントンはプロデューサーとなっていますけれども、Pファンクらしさはあまりありません。

 ブーツィー・コリンズすなわちPファンクでもあったはずですが、何やら意図的にPファンク・サウンドから離しているような気もします。より実験的ですし、何よりもビートが軽やかです。女声ボーカルを多用している点もこれまでとは異なります。

 その女性ボーカル陣には、Pファンク一門のパーレットとブライド、それにブーツィーがデビューさせることになる三人組ゴッドママ、それにファンカデリックとの関係が長いブランディーがクレジットされています。最初の三つはグループです。

 ブーツィーはほとんどの曲でドラムも叩いているようですし、ボーカルもほとんど自分でこなしています。スタジオ・ワークを楽しんでいることがよく分かります。その分、バンド的ではありません。ホーニー・ホーンズの活躍もあまり目立ちませんし。

 この作品はあまりヒットしませんでした。おかげでまた次からは星形眼鏡に戻ります。結局、それまでのブーツィーのイメージ、そして従来型のPファンク・サウンドを期待するからそうなるんでしょう。このアルバムはなかなかの力作なんですが。

 ブーツィーもこれまでのイメージを払拭するべく、一人ですべてをコントロールしているからこその、より実験的でプログレッシブなサウンド展開です。Pファンクのヒット曲の多くを手掛けたブーツィーですが、ここはポップさは抑えめに荒々しさが前に出ています。

 さらにシンセの使い方も工夫されていて、一人で籠るスタジオで徐々に元気を取り戻していくブーツィーの姿がそんなところに表れています。こういう時は面白い作品が生まれるものですが、一般的にはヒットと縁遠いものです。残念なことです。

参照:「P-FUNK」河内依子

Ultra Wave / Bootsy Collins (1980 Warner)