小林克也さんの顔を思い浮かべずにこのアルバムを聴くことは、私の世代の洋楽ファンには難しいことです。「ベストヒットUSA」と不可分一体に結びついたアルバムの一つがREOスピードワゴンの「禁じられた夜」です。

 REOスピードワゴンは1967年に結成され1971年にデビューしたアメリカのロック・バンドですけれども、1980年発表の11作目となるこの作品まで、私は彼らの存在を全く知りませんでした。それが突然の大ヒット、まさかそんなベテランだとは思いませんでした。

 「立て続けに4枚の大ヒット・シングルを生み、全米アルバム・チャート15週連続No1を記録、全世界で2000万枚近くを売り上げた」「全米年間アルバム・チャート1位のモンスター・ヒット作品」なんです。1980年はREOスピードワゴンとともにありました。

 シングル・カットされた曲はA面に固まっており、チャート1位になったのは「キープ・オン・ラヴィング・ユー」、5位が「テイク・イット・オン・ザ・ラン」、24位の「ドント・レット・ヒム・ゴー」と、20位の「涙のレター」です。

 A面には5曲しか入っていないので、これはさながらベスト・アルバム的です。それに引き換えB面は全5曲、いずれもシングル・カットされていません。決してA面に負けていませんが、さすがにそこまでやるのは気が引けたのでしょう。

 シングル・ヒットした4曲中、日本盤の帯に特出しされているのは「涙のレター」です。日本ではこの曲が一番人気がありましたけれども、「いや、これはちょっとやり過ぎではないか」と思ったのは私だけではないでしょう。可愛らしすぎる。

 10年以上の経験を持つ男5人のロック・バンドです。「ライトなノリ」とはいえ、「メロディアスでストレートなロックンロール」が持ち味のバンドにしては、エア・サプライのような「涙のレター」はどうよ、と思ったものです。まあいい曲ですが。

 紙ジャケ再発には発売当初の増渕英紀さんによるライナーノーツが再現されています。当時はパンクから進化したニュー・ウェイブ・サウンドがやや一段落した時代でした。その中で、このオールド・ウェイブとされていたサウンドがどう映っていたのか、思い出しました。

 ニュー・ウェイブのメッキがはがれた後に来たのは、「日本でも始めからメッキする必要のないベテラン勢の復活という自然な成り行き」でした。そして、それはとりもなおさず、「無感性のテクノ音楽の次は、感性、『歌心』への回帰」です。

 確かにそういう言われ方をしていました。しかし、ニュー・ウェイブは音楽ジャーナリズム的には盛り上がっていましたけれども、チャートを独占していたわけではありませんから、今から振り返ると妙な気になります。REOのような音楽は常に需要があったんです。

 ハイファイをもじった粋なタイトルといい、一皮むけたポップさが苦節10年を花開かせました。努力は必ず報われるわけです。80年代のポップなロックのすべてを詰め込んだアルバムです。小林克也さんの紹介とともに「タイム・マシーン」で聴くのが正しい聴き方です。

Hi-Infidelity / REO Speedwagon (1980 Epic)



涙のレター