この頃、ブリティッシュ・ロック・シーンにおいて、キュアーは結構な大物アーティストとして通っていました。マンチェスター・サウンドが大いに流行って、英国のロック・シーンが再び活況を呈した祭りの後、こうした典型的なブリティッシュ・サウンドに心動かされたんです。
ザ・キュアーの9枚目のスタジオ・アルバムは、英国では初登場1位、米国でも2位になるというちょっと意外なほどの大ヒットになっています。彼らのキャリアの中でも最も商業的に成功したアルバムだと言えます。
米国でもヒットしたのも私などには意外な感じがするのですけれども、昔の米国チャートとは違って、この頃の米国では、英国のねじれたロックなども、結構チャート入りしていますから、さほどおかしくないのかもしれません。カルトでもヒット。
アルバムの先行シングルは「ハイ」でした。起伏の少ないキュアーらしい曲でしたから、英国ではトップ10入りを果たしましたが、米国ではトップ40を逃しています。米国チャートはそうでなくてはなりません、
驚いたのはセカンド・シングルです。「フライデー・アイム・イン・ラヴ」はまさかのキラキラしたポップな曲で、精一杯ちゃらちゃらしたPVとともに現れて、結構なヒットになっています。こちらは米国でもそこそこのヒットを記録しました。
私の一押しは「フロム・ジ・エッジ・オブ・ザ・ディープ・グリーン・シー」です。美しい曲と言えばこのアルバムにも「エリーゼへの手紙」などがありますし、他にも佳曲は多数ありますが、私には、ザ・キュアーの全キャリアを通して、この曲が一番です。
若い頃は、「フェイス(信仰)」を思い悩み、自殺まで考えたという鬱状態にあったロバート・スミスですけれども、ここではかなり具体的な悩みになっています。まるで昼メロをみているようなメロドラマ展開には驚かされました。しかもそれがぴったりはまっている。
説明はありませんが、どうやら不倫のようです。♪彼女は僕の目の前で首を吊った♪なんていう一節もあります。特に、♪やめることができたならどんなにいいだろう。あと少しで心が砕けてしまう♪というサビの部分は秀逸です。その後のずるずるした展開も素晴らしい。
ザ・キュアーは初期の頃に比べると、メンバーも増えてバンドらしくなった一方で、ロバート・スミスのワンマン・バンド的な色彩がより強まってきました。彼らのサウンドを特徴付けていたサイモン・ギャラップも戻っていますが、やはり出入りがあると影響力が下がるものです。
そのロバート・スミスのやりたい世界というのはこうした妄想ポップだったということなのでしょう。前作の成功に力を得て、ますますその方向に舵を切ることができました。それはそれで純粋な思いに貫かれたことになるのでしょう。
青春をこじらせていた若者の成熟ととらえると分かり易いアルバムです。強烈な美意識はそのままに、俗世間の塵芥にまみれた自身の地に足のついた姿を昇華した作業はまずは大成功しました。さすがはスタジアム級の大物です。
Wish / The Cure (1992 Fiction)