ボリウッド映画のプレイバック・シンガーは数多いですけれども、ソヌー・ニガムはその中でも頭抜けた存在です。インドの新聞で「有名歌手」を記号的に表わす場合には、ソヌーの名前がしばしば使われるほどです。

 ソヌー・ニガムの父親も有名な歌手で、ソヌーは3歳の時に父親とともに初めてステージに上がったそうです。ボリウッドに出てきたのは18歳の時、1973年生まれですから、1991年頃の話です。まだ若いのに随分深いキャリアであることがわかります。

 彼の活躍は映画作品に留まらず、シンガーとしての単独アルバムも数多く出しています。そういうポップスのシーンが低調なインドにあって、これは稀有なことだと言えます。さらに、その中でもこの作品はソヌーがクラシックに挑んだ作品として高い評価を得たアルバムです。

 全編でインド有数のバイオリン奏者ディーパック・パンディットが曲を書いており、音楽監督を務めています。古典楽器を中心にしたバンド編成で、インド古典音楽の旋律であるラーガを存分に使ったセミ・クラシカルなボーカル作品に仕上がっています。

 ジャケットには、「この作品は自分が歌手であることからいかに遠く離れているか、自分自身に言い聞かせるための試みだ」と自ら書いています。浮ついたヒット狙いのポップ作品ではなく、じっくりと腰を落ち着けて謙虚に歌手としての原点に立ち返った作品です。

 「映画の中で商業的な歌、いわゆるヒンディー・ポップを歌って、人々の心に届こうとするのは、とても誤解を与えることだし、それ以上に自分自身の創作にとっては破壊的だ」とまでソヌーは書いています。

 ソヌーは、この曲がラジオであまりかからない現実に直面して、DJに感謝状を贈るというパフォーマンスをしています。CDを買って聴くしかない状況にしてくれてありがとうと。かなりの皮肉屋であることが分かります。

 そのかいもあって大いにヒットしました。もちろん映画音楽とはケタが違うのですが。ヒットの原因を聞かれたソヌーは「体を鍛えたから」と答えています。ジャケットに裸の写真を載せられるほどに鍛えたから。男優と同じ捉えられ方をしているというわけです。皮肉その2です。

 古典音楽に想を得た曲の数々はディーパックとともに練り上げられていて、素晴らしいです。それも古典古典している訳ではなくて、いい具合にインド大衆音楽のエッセンスが練り込まれていますし、むしろインド音楽入門にはもってこいの作品です。

 ソヌーの声はとても美しくて深いです。ボリウッドのプレイバック・シンガーは皆さん歌が上手いのですけれども、その中でもソヌーはやはり別格だなあと感じさせる見事な歌唱です。コンサートをやれば必ず超満員になる人だけのことはあります。

 それでも、残念ながら映画音楽の牙城を崩すには至りませんでした。ソヌーはお隣パキスタンにはポップス・シーンがあるのに、インドにはないことを嘆いています。おそらく海外の方がちゃんと評価しているのではないかと思います。頑張れ、ソヌー。

Classically Mild / Sonu Niigaam (2008 Saregama)