今回、トシ矢嶋さんはブックレットのインナーに掲載されているグループ写真を撮影しています。皆の笑顔が素敵な良い写真です。残念ながら、ジャケ写は彼ではありません。どこで撮ったか知りませんが、どことなくカリブを感じる写真です。

 前作発表後、シャーデーはツアーに出ましたけれども、8か月に及ぶツアーに消耗した彼らは1986年のパリでのコンサートを最後にお休みに入りました。ツアーの最後の方には、アデュにさまざまな噂が飛びました。失恋、薬中、神経症。泣きながらステージを降りたと。

 全部嘘だそうです。「みんなは私を恋の病にかかった女と思いたがっている」と彼女は笑っています。英国でもこういう人は芸能マスコミがほおっておかないということなんでしょう。実際には彼女は恋を見つけています。

 二作目のヴィデオ・クリップを撮影するためにスペインに渡った彼女は映画監督のカルロス・スカラなる男に一目惚れしてしまいます。男も同様だったそうで、二人はマドリードで結婚することになります。それも長続きはしませんでしたが。

 この作品は、まだ結婚前ですけれども、「曲作りからほとんどマドリードでした」そうですし、リリースした時には「マドリードに住むって決めて」いました。このため、「恋人を追いかけてスペインに行っちゃったという記事が出たのよね」。

 今作は、彼女たちの初めてのセルフ・プロデュース作品です。5、6か月かけてじっくり制作されたアルバムは、「以前に比べ、より直接的で、余計なものをそぎ落としたサウンドになっている」と表現しています。

 帯には「リラックス・ムード漂うサード・アルバム」と書かれています。確かにリラックスはしているのでしょうけれども、解説の中川ヨウさんによる「あなたがいのちをかけた恋を歌ったアルバムだったのね」という問いかけにアデュがうなずいたという重いアルバムです。

 この頃の彼女は、新しいセックス・シンボルと言われていましたけれども、彼女自身はそういう言われ方に居心地の悪い思いをしていたそうです。やはり、彼女の第一の関心は音楽そのものにあります。

 「音楽は私の霊感であり、私の人生。10代の頃からいつもとても重要なものだった」わけで、その成功の秘訣は「余計なギミックが一切ないからだ」と彼女は語ります。とすると、あまり恋の話にこだわるのもよくない気がしてきました。

 この作品は、前作ほどではないにせよ、プラチナ・ディスクを獲得した人気作です。波乱の私生活にもかかわらず、見事なまでに我が道を行くサウンドはさらに自信を深めているようです。オーガニックな手触りはさらに濃くなり、極上の時が流れていきます。

 アシッド・ジャズなどの新しいジャズ・サウンドがますます勢いに乗ってきた時期ですが、シャーデーは孤高のサウンドをどんどん深堀していきました。極上のサウンドと、奥の深いボーカルはもはや向かうところ敵無しでした。

参照:JETMagazine 7/11/1988