水の音はやはり音楽の基本なのかもしれません。私の故郷は海に面していましたから海の音は生活の背景音でしたし、学生時代は川のほとりの下宿でしたから、四六時中、川のせせらぎの音が流れていました。リズミカルなその音は私の音に対する感覚の根となっています。

 エレーヌ・グリモーのこの作品は水をテーマにしたピアノ曲を集めたコンセプト・アルバムです。普通のピアノ曲集とは異なり、全8曲のいわゆるクラシック曲を、ニティン・ソーニーの創作によるトランジション全7曲がつないでいます。

 そのトランジションでは、キーボードとギター、それにプログラミングをソーニーが担当しています。ソーニーはインド系のイギリス人アーティストで、映画・テレビ音楽を含め、幅広く活躍しています。彼のソロ作品も随分面白い作品が多いです。

 「繊細な音楽語法で作られた彼のトランジションは、演奏曲に込められた詩的で哲学的な視点を一つに撚り合わせ、納得のいく音楽の生態系にまとめ上げてくれた」とグリモーが絶賛しています。確かにアルバムを一つの書物にすることに貢献しています。

 しかし、この作品が特異なのはそれだけではありません。そもそもグリモーの演奏は大規模なインスタレーションの一部として、2014年12月にニューヨークで行われたものです。そのライブ録音ということになります。

 そのインスタレーションでは、約900坪の床の中央にグランド・ピアノが置かれ、その周りに水が流し込まれました。そうなると、観客は巨大な湖の上にピアノが浮かんでいるような錯覚を覚えたのだそうです。

 そうです、本作品の演奏は実際にグリモーが水に囲まれた状態で弾いたものなのです。それゆえ、水はこの演奏に何らかの影響を与えているはずです。これは風呂の中で聴くべき音楽なのかもしれません。やってみていませんが。

 収録曲は19世紀から20世紀の作曲家の曲ばかりです。最も古いのはリストの「エステ荘の噴水」で、これは収録されているラヴェルの傑作「水の戯れ」に影響を与えたと言われるリストらしからぬ曲です。また、日本からは武満徹の作品が選ばれています。

 他には、べリオ、フォーレ、アルベニス、ヤナーチェクの楽曲が選ばれており、インスタレーションの着想になったと思われるドビュッシーの「沈める寺」がトリを飾っています。いずれも「自然主義的な情景描写にとどまらない作品ばかり」だとグリモーが語っています。

 「どれも感傷主義と一線を画しながら、水によって引き起こされる感覚、記憶、感情の中へ深く浸透していく」のだといいます。「生命と霊感の源泉としての水、分子としての水、暗喩としての水、抗いがたい力としての水」。水の諸相が描かれ、それをソーニーがつなぎます。

 ありそうでなかった作品です。クラシックはさまざまなコンピレーションが編まれていますけれども、こうした企画盤は珍しいです。トランジションを配することで、既成曲ばかりでも、圧倒的なオリジナリティーが発揮されます。やはり水は偉大です。