1984年にドイツのレコード・コレクター雑誌がコンラッド・シュニッツラーの特集を組んだことがあります。この作品は、その誌面で読者に向けて販売されたアルバムです。予約数に応じて222枚だけプレスされました。

 プライベート感はジャケットに押された手形からも醸し出されています。買った人は喜んだことでしょう。ただし、音源はカセット・テープ2本組みで発表されたこともあるようですから、そこのところはややスペシャル感が薄れます。

 白地に黒の手形です。彼の白と黒に対するこだわりは強烈で、スタジオを黒一色に染めて自分は白一色の服を着る。あるいは真っ白になった部屋の中で黒ずくめの衣装を着る。そんなコンさんなのだそうです。

 さて、この作品はこれまでとは少し違っています。すべてのサウンドがシーケンサーのみによる自動演奏です。新しく導入した機材で、それを使うためには楽譜が必要となったそうです。そこで各楽曲に楽譜が用意されました。ここがまず新しい。

 その楽譜は一部が封入されているシートに記載されています。なお、このシートは彼のカセット作品の通信販売カタログにもなっています。まずは、その楽譜を一枚ずつシーケンサーにフィードしていくのだそうですが、機材に詳しくない私にはやや説明が難しい。

 ともかく、結構な試行錯誤を繰り返して出来上がった作品ですけれども、十分な技術が備わっていなかったがために、調子っぱずれになってしまったと本人は反省しています。本当は作品を破棄したかったと公式サイトには書いてあります。

 これまでの作品とは音が違います。小柳カヲルさんのライナーノーツも「これまでの作風とは一線を画し、教会音楽を髣髴とさせるスケールの大きな仕上がりとなっている」と評しています。音がパイプオルガンを模したように響くからです。

 私は、フランク・ザッパのシンクラヴィアによるフランチェスコ・ザッパ作品を思い出しました。音も似ていますし、エレクトリックな室内楽を想起させるところに共通点を見出します。ある意味ではコンさんらしくない作品です。

 この当時、シンセで生楽器の音を真似ようとする風潮がありました。その時代背景抜きには語れない作品だと評する人が結構いました。やはり、コンさんには電子音らしい電子音で勝負してほしいとするのが一般的なファン心なのでしょう。

 コンラッド・シュニッツラーは「音楽を制作する時には自分自身を表現しようとしていない」し、「映像のために音を作っているわけでもないし、脳内映像のためでもない。記憶のためですらない」と語ります。「自分が作っているのは純粋な音楽」なんです。

 この時に合わせて語った「自分が音楽を聴いている時の方が自分自身を表現している」という表現が面白いです。私たちもコンさんの数多くの音源を選んで鳴らすことで、自分自身を表現しているのかもしれません。

参照:"Future Days" David Stubbs

1.7.84 / Conrad Schnitzler (1984 Private)