1980年代初め、英国に誕生した数多くのエレ・ポップ・バンドの中でティアーズ・フォー・フィアーズはどこか異彩を放っていました。とてもポップな楽曲ばかりなのですが、翳りのあるそのサウンドはいかにも英国らしく、われわれを魅了してくれたものです。

 TFFはローランド・オーザバルとカート・スミスが中心になったバンドです。多くの場合、二人のデュオとされていますが、とりあえずこのデビュー・アルバムにはメンバーとして、ドラムのマニー・エリアスとプログラミングのイアン・スタンレーもクレジットされています。

 バンド名は米国の心理学者で精神療法で有名なアーサー・ヤノフの著書からとられています。ヤノフはローランドとカートに大きな影響を与えていて、アルバム中の一曲「アイディア・アズ・オピエイツ」も彼の著作からですし、そこここに刻印が見られます。

 不遇な少年時代を過ごした彼らは「なんとか自分の中からすべてを吐き出してしまおう」「すべてをさらけ出さなければ、乗り越えることはできない」と、ヤノフの提唱する原初療法を実践、それがこのアルバムに結実しています。

 ヤノフの精神療法を受診する費用を稼ぐこともバンドの目標の一つだったといいますから、その入れ込み方は凄いです。そんなわけですから、各楽曲の題材は普通のエレ・ポップとは明らかに違います。

 発表当時、そんな話は全然知りませんでしたし、歌詞を深読みしたわけでもないのですが、このバンドのサウンドが他と異なる感触を持っていることはよく分かりました。心の傷は、言葉じゃなく、サウンドからでも分かるものです。

 二人はもともとスカバンドで活動していましたが、機材の進歩でバンドがなくても音楽ができるようになったからとバンドを脱退し、二人で曲作りを始めました。そして、自宅に8トラック・レコーダーを持っていたイアンと出合うことで、本格的な制作が始まります。

 そして、「狂気の世界」がトップ10入りするヒットになると、一挙に英国でブレイク、続々とヒットを叩きだします。そして、このアルバムは英国では見事に1位に輝きます。しかし、少しウェットな彼らのサウンドは米国ではあまり受けず、米国制覇は次のアルバムに譲ります。

 当時、ニュー・ウェイブに厳しかった中村とうよう氏も「メロディ、曲の展開、楽器の組み合わせ、スタジオ・ワークといったさまざまな要素の総合としての音楽性」のなかなかすぐれたグループだと高得点をつけていました。

 きらきらとしたポップでありながら、決して軽くはなく、かといって重すぎない。腹の奥の方で感じる音楽です。心の傷は癒えていく途上にある。「ザ・ハーティング」よりも「ザ・ヒーリング」の方がよかったかもしれません。

 二人はゴシックな服装ですし、PVでのダンスも変です。繊細な音楽ですが、王道のポップ路線にあるにもかかわらず、どこかに引っ掛かりが感じられる。ティアーズ・フォー・フィアーズのデビュー作は不思議なアルバムでした。

参照:ミュージック・マガジン83年7月号

The Hurting / Tears For Fears (1983 Mercury)