ジャケットをスキャンするととても綺麗に背景の顔が浮かび上がりました。ルー・リードとジョン・ケイルの二人の顔の背後には、アンディ・ウォーホールの顔が写っています。角度によってはまるで見えません。洒落たジャケットです。

 このアルバムは1987年に亡くなったアンディ・ウォーホールに捧げられたものですが、副題は「フィクション」、アンディの生涯に題材を求めた虚構です。しかし、そのジャケットに象徴されるように、虚実ないまぜになっているようです。

 アンディ・ウォーホールは言うまでもなく、現代ポップ・アートの巨匠です。現代画家の中で最も有名だと言ってもよいでしょう。「普通のかっこよさが一番好きだ。ただ『普通』でいい」という姿勢はやはり大衆との接点を生みます。

 ルー・リードとジョン・ケイルはアンディ・ウォーホールによって世に送り出されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドの中心人物の二人です。アンディの「ファクトリー」と呼ばれるスタジオに集ったインナー・サークルの人たちだと言えます。

 ルーとジョンは長らく仲違いしていましたが、アンディの追悼式で再会し、彼に捧げるアルバムを制作することにしました。それがこのアルバムです。「ドレラ」はドラキュラとシンデレラから出来た造語で、アンディのニックネームの一つです。本人は嫌っていたそうですが。

 アルバムは二人だけで制作されています。ルー・リードはギター、ジョン・ケイルはキーボードとヴィオラ、ボーカルは二人がとっています。アンディの人生から題材をとった物語となっていて、アンディの視点から語られていきます。

 虚構だとは言え、実際にアンディを銃撃したヴァレリー・ソラニスは実名で登場しますし、ヴェルヴェッツのことも歌詞に出てきます。さらに「ア・ドリーム」ではアンディの日記から、♪ルー・リードは結婚式に私を招待してくれなかった♪などの一節が読み上げられています。

 生前のアンディと交遊の深かった二人ですから、どこまでが真実でどこまでが虚構かは部外者には区別しにくいです。ここは基本的にはノンフィクションと捉えたいです。♪古典主義者の問題は、木を見ると木しか見ずに木を描くだけ♪とかアンディの言葉と考えたいです。

 サウンドはドラムやベースが入っていませんし、派手な演出があるわけでもなく、極めてシンプルです。しかし、決して単なる歌伴というわけではありません。二人のソロ・アルバムと対比させても緊張感の高いカラフルな演奏です。

 そこにしっとりと二人のボーカルが添えられていきます。この時期、ルー・リードは「ニュー・ヨーク」で復活を遂げたばかりですし、ジョン・ケイルも充実した活動を行っていました。20年の確執を乗り越える素地は出来ていたのでしょう。

 お世話になった尊敬すべき友人の死に接して、二人の大物アーティストが極私的に追悼のための作品を作った。その生々しさがたまりません。そのことが、この美しい作品に見事なまでの生命を与えていると言えます。

Songs For Drella / Lou Reed, John Cale (1990 Sire)