ジャケットの写真は自然のものなのでしょうか。こんな風景のところが実際にあるのかどうか、よく見るととても不思議な光景です。湖の中にポツンと木が立っています。夢の中の風景のように思えてきます。

 さらに封入されたポスターに驚きます。写真はこのジャケ写と同じなんですが、裏面にさまざまな写真とともに書かれているのが、アルメニアの詩。アルメニア語で書いてあります。一部キリル文字ですが、大半は初めて見る文字、恐らくアルメニア文字でしょう。

 アルメニアは今でもアゼルバイジャンと戦争状態にあります。歴史上、両国の間にはさまざまな不幸な事件が起こっており、ソ連邦時代に同じ国であったとは思えない関係です。このジャケットを見ているとそのことに思いを馳せずにはいられません。

 ティグラン・ハマシアンはアルメニア出身の天才ピアニストです。1987年生まれですから、まだ20代の若さです。幼少の頃から音楽を学び、最初はスラッシュ・メタルのギタリストになりたかったそうです。

 彼はアルメニア生まれで、10歳で首都エレバンに、そして16歳でアメリカに移住しています。9歳からジャズも学んでいるそうで、小さい頃からさまざまなコンクールに出場し、19歳の時に「セロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティション」で優勝しています。

 この作品はティグランの名門ノンサッチ・レーベル移籍第一弾です。基本的にはティグランのピアノを中心に、ベースとドラムによるトリオ演奏です。典型的なジャズというよりも、クラシックやロック、さらにはクラブ・ミュージックをミックスしたサウンドです。

 そして何よりもアルメニアのフォーク・ソングの色合いがにじんでいるところが新鮮です。この作品にはアルメニアの古都であり、大虐殺の舞台となったカルスの名を冠した「カルス1」と「カルス2」が収録されています。これはアルメニアの伝統的な歌をアレンジしたものです。

 コーカサス地方はヨーロッパとアジアの境目に位置していて、アゼルバイジャンからジョージアに抜けていくと、途中に境目が見えてきます。中東ともヨーロッパともつかない独特の色合いの文化を持っている国であることが、この作品からも見えてきます。

 ティグランはこの作品を制作するにあたって、アルメニアにしばらく滞在し、アルメニアの空気を体いっぱいに吸い込んだそうです。日本流に言えば、魂振りの儀式を自ら執り行ったわけです。その成果はいかんなく発揮されています。

 ジャズに分類されるのですが、むしろ上質のプログレッシブ・ロックに近い感触です。端正な音が際立っています。それにゲストで登場する神々しい女性ボーカルがぴったり寄り添います。民族の誇りを背負った折り目正しい演奏です。

 ティグランのピアノは若さが溢れています。時に大仰なフレーズも若さでねじ伏せています。この地方に感じる聖なる抒情を持ち合わせており、時にリリカルでもあり大胆でもあるそのプレイはなかなかに聴かせます。

Mockroot / Tigran Hamasyan (2015 Nonesuch)