クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルは初めて覚えた長い英語の言葉でした。中学校に入った頃、英語を習い始めたころですから、こんな言葉が言えるだけでも偉くなった気分で嬉しかったものです。

 これは、彼らCCRの2枚目のアルバムにして、彼らの出世作となりました。このアルバムからの先行シングル「プラウド・メアリー」が全米2位の大ヒットとなったことから、ここ日本でも彼らの名前が取りざたされることとなり、めでたくアルバムが日本でも発売されました。

 「驚異のニューロック・サウンド」の邦題とともに日本でのデビューを飾ったわけです。ただし、A面とB面が間違っていて、「プラウド・メアリー」の入っているB面が日本ではA面とされていたそうです。まだまだ洋楽は遠かったということです。

 CCRはハイ・スクール・バンドのブルー・ヴェルヴェッツが母体となっています。ジョン・フォガティーを中心とする高校時代の仲良し三人組に、ジョンのお兄さんトムが加わった四人組でデビューしました。デビュー作はカバー曲中心だったので、オリジナル勝負はここからです。

 彼らはしばしばサザン・ロックと称されます。この頃、彼らのサウンドを形容する言葉として作られた造語だという説もあります。しかし、CCRの面々はカリフォルニア出身で、南部とは何の関係もありません。

 それでは南部はどこにあったかというと、ギター、ボーカル、曲作り、プロデュースを担当する天才ジョン・フォガティーの頭の中にありました。行ったことすらない南部でしたけれども、ジョンにとっては憧れの地だったということでした。

 ジョンの「心の耳には、ボ・ディドリーのミシシッピー・ジャングル・ブギーや、ハウリン・ウルフの泥臭い声が聞こえていた」とはライナーを書いているジョエル・セルヴィンの言葉です。エルヴィスやサン・レコードの影響も見逃せません。

 アルバムはスタジオ・ライヴで録音され、そこにジョンがボーカルや楽器を足していくという制作過程を経ています。ルーズなブルース・ジャム・セッションを録音しておいて、天才ジョン・フォガティーが曲に仕立てていったということのようです。

 やはり、「プラウド・メアリー」は格別です。堂々たるアメリカン・ロックのスタンダードとなって、数多くのカバーを生んでいます。中でもティナ・ターナーのド迫力のミニスカ・パフォーマンスは外せませんが、どちらが好きかと言われると賛否両論分かれるところでしょう。

 他にも「ボーン・オン・ザ・バイヨー」などの泥臭いけれどもキャッチーな曲が入っていますが、特徴的なのは何と言ってもそれぞれの面の最後にある「墓場行きの列車」と「キープ・オン・チューグリン」です。8分前後と長尺のブルース・ジャム・セッションです。

 「泥臭く、汗臭く、貧乏臭く、みじめったらしい」ところに「倒錯的なカッコよさを感じ」るとは中村とうようの最大級の賛辞です。土性骨の座ったぶきぶきのサウンドは確かにやたらとカッコいいです。

参照:「ロックが熱かったころ」中村とうよう

Bayou Country / Creedence Clearwater Revival (1969 Fantasy)