グローバル化の進んだ現在からは想像しがたいところですが、昔は大洋を渡るということは大変なことでした。もちろん飛行機も飛んでいますから、物理的には大したことはありません。しかし、メンタルな部分で大洋の隔たりはとても大きいです。

 日本人からしてみると、イギリスもアメリカも元は一つではないかと思うわけですが、元は一つなだけに相対的には小さい違いであっても百倍くらいに誇張されて感じるようです。大西洋の東西も、太平洋の東西ほど違うと、かつてイギリス人が言っていたことを思い出します。

 ともかく、ロッド・スチュワートはフェイセズがほぼ解散し、ソロ活動のレーベルも移籍したことを機に、心機一転、アメリカに渡ります。そして、その心意気を強調すべく、タイトルはそのまんま「大西洋一跨ぎ」なる作品を制作します。

 ロッドによれば、ひとえにトム・ダウドの魅力だったそうです。「アメリカ一の敏腕プロデューサー、トム・ダウドとロッドの出会い!」です。トムはオールマン・ブラザーズ・バンドとのコラボで有名なとてもアメリカンなプロデューサーです。

 そして、「ロスアンジェルスとマッスル・ショールズでのレコーディングでロッドは新たな音の世界を創造」しました。バックを固めるのはロスやマッスル・ショールズなどで活躍する一流スタジオ・ミュージシャンばかりです。

 それまでのソロ・アルバムとは音が全然違います。これが大西洋の東西の差なのかと驚かされます。これも太平洋の東西に比べれば近いと言えば近いわけですけれども、久しぶりに聴いてみるとやはり驚きます。

 ロッド自身はどうだったのかと言いますと、まず、マッスル・ショールズのミュージシャンはみんな黒人だと思っていたら、「彼らはみんな白人だったと知った時の僕の驚きを想像してみてくれ」なんて言っています。

 ロッドのルーツはR&Bやソウルですから自然な成り行きでのアメリカ録音だったとは思いますが、その程度の知識だったということですから、やはり出来上がりには自分でも驚いたのではないでしょうか。

 これまでのソロ・アルバムでは、フェイセズの連中を中心としたルースでラフな持ち味が魅力でしたけれども、ここでは懐の深いタイトな大人のサウンドが展開されています。圧倒的に完成度が高い。そんな演奏をバックにロッドが歌いまくるという凄い展開です。

 しかし、実はバンド思いのロッドですから、やはりイギリスでのソロの方が落ち着いている気がします。バンドと一体となったロッドはとてもリラックスしています。こちらはむしろザ・ボーカリストとして、タキシードを着た格式ばった感じになっています。

 この作品には「ほとんど国歌といっていい」と豪語する「セイリング」や「もう話したくない」の二大バラードヒットを含みます。前半の「ファスト・サイド」と後半の「スロウ・サイド」、いずれもザ・ボーカリストの魅力全開で、英米で大ヒット、スーパースターへの道をひた走ります。

Atlantic Crossing / Rod Stewart (1975 Warner Bros)