あらゆる束縛から離れ、人々の作り出すさまざまな制度からも自由になるということは、ほとんど不可能に近いことだと思います。音楽は音の中からある種の秩序を引っ張り出す行為ですから、本来的に音を束縛するものだと言えるかもしれません。

 フリー・ジャズと言われる音楽であっても、ジャズやその他の過去の音楽遺産に寄って立つところが大きく、予定調和を免れることは稀なことになってしまっています。現代音楽でも完全なオリジナルを目指そうとする試みはかなり失敗しているように思えます。

 デレク・ベイリーさんは音を解放することに成功した稀有な人です。間章さんの言葉を借りれば、「恐らく彼はこの人類というものが初めて持つことのできた唯一の完全に新しい地平に身をおき生きている即興演奏家」です。(「時代の未明から来るべきものへ」間章)

 そのベイリーさんが来日した時、正確には1978年4月19日に東京のスタジオで、日本のミュージシャンたちと即興演奏を行った記録がこの作品です。前年のミルフォード・グレイブスといい、この作品といい、よくも発売されたものです。

 ライナーによれば、「僕には分からないけど、君がそんなに好きならやってみればいいじゃないか、お金もたいしてかからないんだから」と、キティ・レコードの多賀社長がOKしたそうです。キティといえば、小椋佳や井上陽水のレーベルですよ。凄いですね。

 話がそれましたが、ここに集ったミュージシャンは、ミルフォードの時と同じく、阿部薫、高木元輝、近藤等則、土取利行の面々に、ベースの吉沢元治を加えた5人です。当時、日本のフリー・ジャズ界の最高峰に位置していた人々だと言えます。

 オリジナル作品では、全部で7曲が収録されていました。デレク、土取、吉沢のセットが2曲、デレクと近藤、デレクと土取のデュオがそれぞれ1曲ずつ、デレク、高木、阿部のトリオが1曲、そして近藤と高木のデュオが2曲です。

 CD化に際してボートラで、デレク、高木、阿部のトリオと、デレクと近藤のデュオがそれぞれ1曲ずつ、そして全員による演奏が2曲追加されています。さらにこの日の音源は、別途CDにもなっていますから、まだまだ未発表のものがあるのかもしれません。

 興味深いのは、なぜにこれらの演奏が切り取られてLPになったのかというところです。しかも、ベイリーさんが入っていない曲も2曲あります。聴く時には一続きで聴いてしまうのですが、さすがにギターには注目してしまうので、やや違和感があります。

 まあしかし、そんなことを考えながら聴く音楽ではありません。何物でもない音楽がここにあります。プレイヤーに乗せるまでに時間がかかる類の音楽ですが、聴いてしまうと一気に最後まで聴いてしまいます。

 ベイリーさんによって開かれていくミュージシャン。聴いていると、そのインタープレイによって心と体が解き放たれていく体験ができます。ライナーで引用されている女子高生の言葉が全てです。「だって彼の演奏は全然抽象的じゃないんだもの。」

Duo and Trio Improvisation / Derek Bailey (1978 Kitty)

CDの音源とは違いますが、近い時期の日本でのライブです。