$あれも聴きたいこれも聴きたい 日本レコード史上初のミリオン・セラーです。2年連続で年間1位は驚異です。73年当時からLPレコードの値段はさほど変化はなく、一方で所得は倍以上になっています。まだまだ高価なアイテムでしたから、100万枚なんて夢のような数字でした。

 しかし、井上陽水を含め、当時のフォーク歌手はテレビに出演しませんでしたから、テレビを主要な情報源としていた私などにはどこか遠い世界の出来事でした。実は、今回、ブログを書くにあたって調べてみて初めて知って驚きました。

 70年代初めのフォーク・ブームには私はほとんど不感症でしたけれども、井上陽水さんだけは妙に気になっていました。ラジオを聴かない私にはフォーク情報がまるでなかったわけですが、友人がギターを弾きながら歌うのを聴かされたことも含めて、少しは聞こえてきていました。その中で、この声です。何と言ってもこの声。気にならないわけがありません。一度聴けば耳から離れない。凄い声です。

 その後、長い年月の間に彼らも丸くなったのか、テレビが権威主義から少しは脱却したのか、テレビで歌ったり、タモリさんと遊ぶ陽水さんの姿が見られるようになりました。昔、思っていたのとはまるで違う脱力キャラには驚きました。

 そういう後付けの知恵も身にまといながら、改めてこのアルバムを振り返ると、いろいろな発見があります。アレンジは本格派グループサウンズのモップスにいた星勝。彼に加えて、楽曲の共作者には、忌野清志郎、小椋佳、漫画家の長谷邦夫がクレジットされています。

 参加ミュージシャンには、深町純、細野晴臣、高中正義、村上秀一といった日本のロック作品には誰か一人は必ず含まれているだろうというような人々に加えて、ロンドンで録音がされた曲もあって、そこにはジョン・グスタフソン、アン・オデルといったロキシー・ミュージック周辺の人々が参加しています。

 この声があれば、アコギ一本でもいいのではないかと思わせますけれども、そこは結構豪華なアレンジがなされていて、気合の入り具合が分かろうというものです。これは陽水さんの3枚目のアルバムになるわけですけれども、シングル「夢の中へ」がヒットしたこともあり、アルバムの大ヒットが期待されていたのでしょう。そのわりには「夢の中へ」は入っていませんが。

 ここで聴かれる曲は、四畳半フォーク的な叙情に満ちた側面もありますし、内省的な詩の世界でもあるのですが、この人の場合は、どこか開かれたところがあります。胸のなかを覗いてみたらば、茫洋と広がる海が見えたような感じがします。

 一押しは、やはり大ヒットした「心もよう」です。信じられないくらいいい曲です。放り出されたような歌詞の終わり方といい、朗々とした艶のある声といい、本当に見事なものです。

 日本初のミリオン・セラーは伊達じゃありません。天賦の声がまぶしすぎる名作だと思います。

氷の世界 / 井上陽水 (1973 ポリドール)