$あれも聴きたいこれも聴きたい-Bruno Walter
 イントロ・クイズに出題すると、即座に正解する人もそれなりに多いでしょうが、圧倒的多数の人は、「聴いたことがあるけれども曲名が出てこない」、ともどかしい思いをするであろう、ベートーヴェンの名曲中の名曲、「交響曲第6番ヘ長調作品68『田園』」です。

 「田園」はベートーヴェンの9つある交響曲の中でタイトルが付けられたものとしては「英雄」に続く2番目ですが、各楽章にまでタイトルがついている作品としては唯一のものです。田園生活の思い出の各場面を異例ともいえる5つの楽章それぞれに割り振っています。

 この作品の初版LPには、有名な作曲家であり、タイトルや解説つきの音楽、すなわち標題音楽を確立したとされるエクトル・ベルリオーズによる渾身の解説が添えられています。1838年に書かれたもので、各楽章が描き出す田園風景を熱く熱く語っています。

 第二楽章「小川のほとりの情景」は、「このすばらしいアダージョを、きっとベートーヴェンは草の上に寝そべって作ったに違いない」ですし、第四楽章「雷雨、嵐」は、「これはもはや単なる嵐ではない、恐るべき天変地異、宇宙の大洪水、この世の終わりである」わけです。

 有名な旋律で始まる第一楽章は、そもそも標題からして、「田舎へ着いた時の楽しい感情のめざめ」とかなり具体的な情景を描き出していますけれども、ベルリオーズはもはや陶酔したような筆運びをしています。引用するには長すぎるのでやめておきますが。

 ベルリオーズの筆によるまでもなく、「田園」はとても情景描写的な音楽です。標題もつけられていることから、後に確立する標題音楽の先がけとされています。これに対立する概念は、純粋に音だけを追求する絶対音楽です。さすがクラシック、絶対ときました。

 ロックやジャズにもある普遍的な対立ですけれども、クラシックの場合にはタイトルがあろうがなかろうが、作曲者の意図を忖度することが演奏なり鑑賞の基本のようですから、標題対絶対の対立はむしろ具体的な情景描写的かどうかという点に収斂する気がいたします。

 ともあれ、そんな音楽ですから、もうヨーロッパの「田園」以外の何も浮かばない。と思いましたが、ディズニーの「ファンタジア」がありました。田園といえば田園ですが、ギリシャ神話の牧歌的な世界です。これをみてベートーヴェン先生はどう思うのでしょうか。

 指揮者のブルーノ・ワルターは、フルトヴェングラー、トスカニーニと並ぶドイツの三大巨匠の一人です。ナチスの迫害を避けて米国にわたった彼の音楽をステレオで録音するためにレコード会社によって作られたのがコロンビア交響楽団だということです。凄い話ですね。

 この作品はそのコロンビア交響楽団による演奏で、ベートーヴェンの「田園」の決定盤として人気の高い作品です。いつもは辛口の宇野功芳先生をして、「われわれがこの曲に求め、この曲にイメージするすべてがあるといってよい」と書かしめています。

 確かに、とても柔らかで優美で美しい演奏だと思います。録音も素晴らしいです。天の邪鬼の私としては大変に悔しいのですけれども田園風景が浮かんできます。それも日本と違って、じめじめしておらず、変な虫もあまりいないヨーロッパの田園風景です。思う壺です。

Ludwig Van Beethoven : Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastorale" / Bruno Walter conducting the Columbia Symphony Orchestra (1958 Sony)

参照:新版「クラシックCDの名盤」宇野功芳、中野雄、福島章恭(文春新書)

*2012年7月18日の記事を書き直しました。



Tracks:
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
01. 第一楽章:田舎へ着いた時の楽しい感情のめざめ
02. 第二楽章:小川のほとりの情景
03. 第三楽章:田舎の人たちの楽しいつどい
04. 第四楽章:雷雨、嵐
05. 第五楽章:牧人の歌ー嵐のあとの歓びと感謝の気持ち

Personnel:
Bruno Walter : conductor
Columbia Symphony Orchestra