あれも聴きたいこれも聴きたい-MikamiHiroshi
 三上寛を思う時、青森を切り離すことはできません。ついでに寺山修司も欠かせません。北津軽郡小泊村に生まれた三上は「同郷の寺山修司などの影響を受けて現代詩を書き始めました」。二人は津軽つながりです。

 恐山の青森、日本の原風景としての東北です。縄文の血を感じさせる、そんな東北です。この二人に吉幾三ではなくて、岩手県から宮澤賢治に登場願って、東北三大詩人と呼びたいところです。それほど異郷としての東北を感じさせる人々です。

 三上寛は1971年の中津川フォーク・ジャンボリーにて衝撃のステージを繰り広げたことから全国に名前がとどろきました。しかし、私よりも世代が上でしたし、フォークなので当時はあまり知りませんでした。むしろ、寺山修司の作品に出演していた姿の方が印象深いです。

 このアルバムは三上にとって10枚目となる作品で、それまでの三上のアルバムの中ではかなり異端だと言われます。ギターをかきむしって絶叫するというのが彼のイメージでしたが、この作品では、そもそもギターをほとんど手にしていませんし、絶叫もありません。

 しかも「リゴー遺稿集」では弦楽四重奏との共演です。異端のアーティストとして、メイン・ストリームからは外れたところにいる三上が、あの絶叫の三上が、弦楽四重奏と共演するというだけで、随分、驚きをもって受け止められたようです。

 全部で7曲収められている中で、「二度までのセリフ」は小室等のギターのみ、2曲目の「ストリッパーマン」は渋谷毅のピアノのみ、三曲目の「ふしだらの傾向」でやっとバンド編成による演奏となります。

 裏面に移って、「街で」はヴァイオリンとギター、「海男」は三上の弾き語り、最後のタイトル曲はオーケストラとの共演となっていきます。一つとして同じ編成はありません。しかし、全体を統一する空気は濃厚です。

 とにかく言葉が重く重く入ってきます。普段はあまり歌詞に耳を傾けることはない私にも遠慮なくずんずん侵入してきます。生々しすぎて居たたまれなくなります。個人情報ダダ漏れと言いますか、三上寛がずんずんと赤裸々な姿で部屋に侵入してきます。

 「演歌の唄い手になるためには家族全員の協力がなければならない。演歌とは親・兄弟をまきぞえにすることである」と三上は語ります。その覚悟がこの生々しさを生んでいるのでしょう。恐ろしいことです。

 最後の曲は「負ける時もあるだろう」。三上寛は「自分の歩むべき方向、そして歌の行方」に悩んでいたそうです。「心は砂塵のように荒んでいた。まずは負けたことを認めることから始めよう」との達観が刻まれています。人は生まれながらに負けている。恐らく真実でしょう。

 東日本大震災が起こった時、私はこの歌を思い出しました。♪夢にまで見た不幸の数々が 今 目の前で行なわれ様としている♪、♪負ける時もあるだろう 沈んでしまう時も だけどこれから先は 自分で選ぶしかほかはない♪。

Rewritten on 2016/1/23

Makeru Tokimo Arudarou / Mikami Kan (1978 ベルウッド)