リケジョさんから感想いただきました! | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

リケジョの佐藤さんからのご感想です。ずっとメメントCを観て下さって応援ありがたいです。

 

『12/20、新宿にて「私の心にそっと触れて」(作:嶽本あゆみ、演出:山下悟)を観た。

生の”芝居”としては、なんとコロナ発生以来、1年半ぶり!やっぱり生だよなぁ、やっぱり小劇場だよなぁ、と実感しつつも、久々の芝居空間という場に私はフツーに居た。この“濃密な空間”が私の記憶の原点の場所、であるかのように。。。

職業柄もあって“生物としての人間”、“生物の中の人間の意味・位置”について、いつも考える。老化、生命の終わりは、どの生物にも必ず訪れるが、どのような死に方がリーズナブルなのかと。自然界において、病気で死んでも事故で死んでも(食物連鎖の上位の生物に捕食されることも含む)、それはごく当たり前のことだ。“老衰による死”、は私の憧れであり、身体より精神が先に朽ちるのはいやだなぁと以前は思っていた。正直、アルツハイマー病にはなりたくはない。しかし、今回、この芝居を観ていて思ったのは、精神が身体より先に朽ちるとき、それは”人間としてのリセット“ではないのかと。勿論、脳の委縮、アミロイドβ蓄積、という状況は、身体機能の衰退の結果かもしれないが、その果てが、あの”ありがとう“であるのなら、それは、まさに他の生物にはない、人間としてのコア部分なのかもしれない、と。

幹細胞は未分化だが、多能性を有する。もし、精神がリセットされて未分化状態に戻り、その原点が精神のネットワークの構築としての、あの”ありがとう“であるならば、“老衰による死”でなくても、アルツハイマーでも、“より人間らしい死”でいいのじゃないか、、、とこの芝居を観終わって、そう感じたのだった。

 

かつて、私はアルツ薬の種の開発に関わっていたことがある。まさに、最近FDAで承認、EU当局と昨日日本の当局からも承認が見送られた新薬を開発した、あの会社との共同研究(結果、失敗)。私はneurologistではないが、メカニズムと非臨床のレベルで結構勉強をしたことを思い出した。脳は複雑で本当に難しい、、、今もアルツ薬の開発は最大のアンメットニーズ、悲願なのだ。

しかし、劇中でも言っているように、周りのケアが治療薬の効果を上回ることも、と。そうなのだ、まさにその通り!だから人間は、脳は難しく、不思議なのだと実感もこめて思っている。

 

最後に、内田光子とは対局的な(?)ピアニストの小林光子(またの名をゲラン光子!)の駒塚由衣さんは、本当に声の美しい、華のある女優さんだ。”出た!“という感じで幻覚として現れるゲラン光子は、まさにはまり役!それから、ああいうケアマネいるよね~(しかも出来のいいケアマネ)という感じが印象に残っている。

 

仕事の都合とコロナの様子を見つつ、かなり間際になって、チケットを手配していただき、ありがとうございました(1枚何とかなりますか?なります!というメッセージだけでちゃんと当日預けになっていたのにも感謝!)。今後のますますのご活躍を期待しております。』