About love 2 ・・・ 嶽本 あゆ美
三回前は、柄にもなく恋愛話をしました。チェーホフの小説を読んでいると、いつも感じるのは「女の一生」みたいな哀しさへの同情ですね。フェミニズムについては全くド素人なのですが、いわゆるそういう女の立場に踏み込んだ優しさを感じます。路を踏み外してしまった女にも、踏み外したくても踏み外せなくてアリ地獄のような穴倉でもがく女、自分の意思がなく、慕い寄る相手によって次々と考えを変えてしまう愚かな女。
しかし、反論もあって、自ら手を差し伸べるわけでもなく、①傍観している。②上から目線だ。というのもありますが、人間の愚かしさを男女平等に認めているからこそ、おもしろい小説が書けるのでしょう。あんまり言うと研究家にいい加減な事言うなとお叱りを受けるかもしれません。ただ、その眼差しの先にあるものが、人間の営みがはかなく美しいもの、愛すべきものだということは確かに見えてきますね。
名前を忘れてしまったけれど、ある鉄道の駅で見かけた美しい女と、うだつの上がらない鉄道員のごく短い短編が、フィルムのような印象でした。ある鄙びた駅の鉄道員は女を愛しているのですが、美しい女はとんと気に掛けない。そして自分の美しさと価値を傲慢なほど確信している。停車中の汽車の車窓から観ているチェーホフには二人のステイタス、力関係が手に取るように分かる。そして、チェーホフはその女の美しさが一瞬のもの、誰にも平等に訪れる時間によって、台無しになっていくことを知っている。知っていて、やはり美しいと思う。憐れみさえ感じながらも、その女の魅力を目でしばし楽しむ。
まあ、いわゆる電車に乗ってる時のオヤジの目線ですな。
ハッピーエンドとは、あの時代のロシアでしたら、白馬の王子様がやってきて、退屈で死にそうな人妻を日常から解き放ってくれるというものでしょうか?残念ながら、もうあの時代には社会が個人を押しつぶし始めているようです。成金におべっかを使いながらも、没落する貴族階級は、彼らを金づるとしかみない。駆け落ち同然に階級や社会の縛りからはみ出して結婚しても、「プラトーノフ」のアンナのように、裏切りと絶望の中、死んでいく女。愛があろうがなかろうが、負債や借財によって簡単に自分の生きる道を失ってしまうのですね。資本主義が世界を席巻し始めたあの頃、男は自分たちの足場、経済的土台がガタガタになっているのを、どうにも仕様がない。社会が傾いていくのを観ているだけ。
チェーホフは、誠実で甲斐性のない男をあまり好きではないように思います。性格が最悪でも、経済的手腕を発揮し、下の階級からのし上がってくるチャレンジャーの男の内面をとてもよく分かって書いている。自身が下の階級から這い上がったインテリだったからでしょう。うっ屈したプライドと闘争心、それさえも持てない男はピストルで死ぬ運命にあるようです。
「ともしび」のアナニエフは、愛すべき男性ですね。今じゃあ、すっかりいいオヤジで、鉄道工事現場の助手、学生のシテンベルグをいじくっては喜んでる。ふともらした、人生最悪のケースの恋愛ドラマ、行きずりの恋によって自分の人生がいかに変わったか、話し出すのです。決して、ハッピーエンドではないのですが、チェーホフの悲劇にはありえない種類のユーモアが満載です。ソープオペラでありながら、純愛物語の「ともしび」是非、ご覧ください。
そういえば村上春樹が、1Q84でチェーホフとピストルという小道具の関係について、小説に書いていましたっけね。あの売り切れまくった1Q84、まだ皆さんの書棚にありますか?あれも恋愛小説だという括りだそうですが・・・
今回、全然まとまらないので、この辺でやめます。済みません。やっぱりこういう主題は背伸びが過ぎましたね。