理性は叫ぶよ幾度でも

常識は蔓延る捨てたいのに



分かりやすくなきゃ!

親しみやすくなきゃ!

理解されなきゃ、

理解されなきゃ!



はぁ?うるせーよ

何のために好きに生きるって

決めたんだよ



【己が魚と思えば魚】








【わたし天才じゃんプロジェクト】

第3日目




────✍🏼Aco



***




もしかして、って

ちょっと思い始めてる。



もしかして、

「理解されない」って

快感なんじゃないか?って。



理解を求めないって、

ものすごく居心地が良いんじゃないか?

って。



スタンスの問題でさ、

「諦め」じゃなくて、

「傲慢さ」だと思うんだけど。




分かる人に分かって貰えればいい。

分からない人に理解を求めない。



もっと言うと、

誰にも理解されなかったとしても、

それすら意に介さない。



誰に許可を得なくても、

「わたしは【こう】である」

っていう、スタンス。



眼の無い魚はいるよね、きっと。

頭部中から触角の生える魚も
いるよね、きっと。


眼から歯が生える魚はいるかな、

剥がされた鱗から
涙を流す魚はいるかな、

海を泳ぐのではなく、
宇宙を飛ぶ魚はいるかな。



そんな魚がいたらさ、

その魚って、



「お前には眼が無い」

「お前の触角は奇妙だ」

「眼から歯が生えるなんて気色悪い」

「空を飛ぶなんて、魚じゃない」



とか、どんなに自分じゃない他の存在から

言いたい放題言われたところで、

まるで何にも思わないよね。

「え、だから、なに?」

「これが、わたしなんだけど」

で、以上終了。



なんなら、それすら褒め言葉にして、

「だから、わたし、美しいでしょ」

「だから、わたし、素晴らしいでしょ」

とすら思ってる。



コレ逆にしたら、全部辛くてキツい、

生きてるだけで苦しいよね。



理解されない、から面白い。

理解されなくても、素晴らしい。



理由なんて無くていい。



ただ何も隠さず、小さくならず、

宇宙を飛ぶような

めちゃくちゃな魚。



カッコイイから、
大好きになっちゃうね、
そんなの。