先月の今日、自分の大好きな大好きな大好きな母ちゃんが亡くなりました。
74歳でした。病名は卵巣がん。
今年の夏に手術をして投薬治療で治療していく予定でしたが、
病気の進行が早く強かったため、投薬治療ができませんでした。
退院してしばらくは体調は良くて元気そうだったのに、
10月の下旬からジェットコースターのように体調が急変して再入院して
11月5日に亡くなってしまいました。
いつも笑顔で誰からも好かれる優しい人でした。
何をしても自分の事を想ってくれてたり、味方になってくれる息子想いの人でした。
74歳という年齢は若いのかも知れないけど、
投薬治療ができない事を知って、いつかは亡くなってしまうのだろうと覚悟をして、
よく会話をしたり、家事を積極的に手伝ったりして後悔のないようにしていたけど
実際にその日が来てみると、想像以上にショックは…大きいものでした。
母が亡くなって思うことは、人は少しずつ死んでいくんだ…と思うことです。
母宛の手紙、電話。…もう使われることのないカップといった母の持ち物。
母が寝てたベッド。いつも座っていた場所に母がいないこと…
そうやって、少しずつ母がいないことに慣れて、
いつのまにか、いないことが当たり前に思えてくる。
そこでようやく、母が本当に亡くなったんだなと思えるようになるんでしょうね。
母が亡くなって自分の中で何かが終わった気がします。
終わっただけでは、母に申し訳ない気がするので何かを始めないと…
寂しいよなぁ。悲しいよなぁ。
大好きな母ちゃんがこの世界にいないなんて…
74歳でした。病名は卵巣がん。
今年の夏に手術をして投薬治療で治療していく予定でしたが、
病気の進行が早く強かったため、投薬治療ができませんでした。
退院してしばらくは体調は良くて元気そうだったのに、
10月の下旬からジェットコースターのように体調が急変して再入院して
11月5日に亡くなってしまいました。
いつも笑顔で誰からも好かれる優しい人でした。
何をしても自分の事を想ってくれてたり、味方になってくれる息子想いの人でした。
74歳という年齢は若いのかも知れないけど、
投薬治療ができない事を知って、いつかは亡くなってしまうのだろうと覚悟をして、
よく会話をしたり、家事を積極的に手伝ったりして後悔のないようにしていたけど
実際にその日が来てみると、想像以上にショックは…大きいものでした。
母が亡くなって思うことは、人は少しずつ死んでいくんだ…と思うことです。
母宛の手紙、電話。…もう使われることのないカップといった母の持ち物。
母が寝てたベッド。いつも座っていた場所に母がいないこと…
そうやって、少しずつ母がいないことに慣れて、
いつのまにか、いないことが当たり前に思えてくる。
そこでようやく、母が本当に亡くなったんだなと思えるようになるんでしょうね。
母が亡くなって自分の中で何かが終わった気がします。
終わっただけでは、母に申し訳ない気がするので何かを始めないと…
寂しいよなぁ。悲しいよなぁ。
大好きな母ちゃんがこの世界にいないなんて…