2024. 7. 19  産経新聞

「モンテーニュとの対話」桑原聡


トランプ氏暗殺未遂事件─

今後、陰謀論が出てくるだろうとは思いましたが、ネットがメイン、、でしょうね。

〝デジタル中世〟なるほど、上手い表現!

陰謀論の背景にあるものとは、、





〝「デジタル中世」と陰謀論〟



容疑者射殺で真相は永遠の謎


米国ペンシルバニア州バトラーで13日 (日本時間14日) 、11月の大統領選に向けた集会で演説していたトランプ前大統領が銃撃され、右耳を負傷した。


発砲音と同時に右耳を押さえていったんはうずくまりながら、再び立ち上がって、流血をものともせずにこぶしを突き上げるトランプ氏の映像を見た私は「出来過ぎだ。これは自作自演ではないか」と思った。

プロレスで、セコンドやレフェリーが隠し持っているカミソリで、選手の額を切って流血させ、観客を興奮にいざなうように、空砲を鳴らし、トランプ氏が自分の手で右耳にカミソリを当てたのではないかと。


その疑念は、集会参加者の1人が死亡し、2人が重傷を負ったという続報によって打ち砕かれた。

弾丸は確かに発射されたのだ。

その後大写しされたトランプ氏の右耳には貫通射創があるように見えた。


そのときに撮られた、青空にはためく星条旗を背景に流血しながらこぶしを突き上げるトランプ氏の写真は、強烈なインパクトがあった。

間違いなく報道写真の分野で今年何らかの賞を獲得するだろう。

そして信仰心の篤いアメリカの人々の多くが「私はアメリカとトランプ氏を守っている」という神の声をそこに聞くことだろう。

今はトランプ氏の回復と、巻き添えになって亡くなられた方のご冥福、重傷を負われた方の回復をお祈りしたい。


今回の事件で返す返すも残念なのは、容疑者の20歳の青年がその場でシークレットサービスに射殺されたことだ。

世界中の誰もが、1963年に起きたケネディ大統領暗殺事件を想起したはずだ。

実行犯とされたオズワルドは逮捕の翌々日、ジャック・ルビーという男に射殺された。


オズワルドの死は、暗殺の真相を闇に閉じ込めた。

それゆえさまざまな陰謀論が今もまことしやかにささやかれている。

同様に今回も容疑者の死によって、新たな陰謀論が次々と生成され、ネットを通じて世界中に拡散されるはずだ。


過激主義者の言説に染まって


銃撃の事実を突き付けられた私は、「自作自演ではないか」と疑念を抱いた自分の反応にいささか動揺した。

自分自身が唾棄すべき、訳知り顔の陰謀論的思考に染まっていたと気付いたからだ。

国、国際機関、報道機関を信用しない人々がネット上で拡散する情報の影響を、知らず知らずのうちに受けていたのだ。


ここで思い出したのが、「クーリエ・ジャポン」デジタル版 (2月26日配信) に掲載されていた記事である。

英国のシンクタンク「戦略対話研究所」上席主任研究官であるユリア・エブナーが、Qアノン、不本意の禁欲主義、反コロナワクチン、気候変動否定、LGBTQ嫌悪、女性嫌悪、人種差別主義などの過激主義組織に覆面調査員として潜入して実感したことを、スペイン紙「エル・パイス」に語ったものだ。

彼女はこんな発言をしている。


《もしこのまま現在の道を進めば、未来の歴史書は──そんなものが存在すればですが──、2020年代をデジタル中世もしくは、暗黒時代の始まりと記すことでしょう。

根拠のない作り話が再び台頭するのを私たちは目にしています。

これは、神話的なものを排除した啓蒙主義のまさに正反対であり、非常に危険な道です》


「中世」とは、西ローマ帝国の滅亡 (476年) 以降およそ1000年続いた時代だ。

支配的イデオロギーは言うまでもなくキリスト教で、ユダヤ人の追放・虐殺や魔女狩りなど、異教徒や異端者は、ただそれだけの理由で容赦ない仕打ちを受けてきた。


その後のヨーロッパは、ルネサンスと宗教改革を経て、人間の理性に信頼をおこうとする近代を迎えた。

だが、情念の生き物である人間は、状況によってたやすく理性を手放す。

民主的手続きによって政権を奪取したナチスの例を挙げるまでもなく、社会が不安定で将来が見通せない時代には、良識を持った人々でさえも、陰謀論や神話に染まりやすくなる

ひとつ興味深い実例を紹介しよう。



つづく〜