〜つづき
いまさら言っても詮無いことかもしれないが、言っておきたい。
そもそも選挙とは、ひとりひとりが自分の頭で判断し投票してこそ本当の意味があるはずだ。
選挙において組織の方針に合わせるなんて、それこそ民主主義の堕落の始まりであり、ファシズムの始まりだろう。
言い過ぎだろうか。
モンテーニュは第2巻第37章「父子の類似について」にこう記している。
《わたしは我々の考えや企てに一致を見たら、かえって珍しいと思うのである。
実に、世に二つの同じ意見はなかった。
二筋の髪・二粒の穀粒(たね) ・が同じでないように。
人々の意見に最も普遍的な性質といえば、それはそれらが多様であるということである》
(関根秀雄訳)
インディーズ系候補者に注目
インディーズ系候補者たちの政見放送は、まさに多様であった。
ある者は全身全霊で真っすぐに訴え、ある者は道化を演じながらおどけたようにアピールし、ある者は極論を吐いて有権者を挑発しようとした。
ただ、道化を演じる候補者に対しては、「ふざけるな」「下品だ」「恥を知れ」と言った感想を抱く人も多かったはずだ。
だが、こちらが「候補者はかくあるべき」といった固定観念から離れて、真意を汲み取ろうとすれば、案外容易に彼らの訴えを受け止めることができるのではないか。
おそらく前期高齢者の私などよりも、若者のほうが、直感的に彼らの真意を見抜けるはずだ。
若者が政見放送を見ていたらの話ではあるが。
あくまで個人的な感想だが、300万円の供託金を自腹を切って払ってまでも出馬した候補者の叫びの中には、政治を真に私たちのものとするための、大切なヒントが埋もれているように思った。
もし私が新書の編集者ならば、選挙が終わってから、政見放送で興味を持ったインディーズ系候補者10人ほどにインタビューをして、日本の政治の現状について思うこと、都民に訴えたかったこと、選挙戦の戦略と有権者の反応、選挙戦の成果と反省、新都知事に伝えたいことなどを1冊の本にまとめてみたい。
新都知事になった者が聞く耳を持っていたら、その1冊はきっと、政権立案の参考になるはずだ。
投開票日を間近に控え、いまの私の最大の関心は、誰が当選するかではなく、投票率がどうなるかだ。
言うまでもなく、投票率のアップは、日本が国民本位の国に再生するための絶対必要条件だ。
前回は55.00% (前回比マイナス4.73ポイント) 。
これが1ポイントでもアップしたとすれば、それこそ真摯なインディーズ系候補者の功績だろう。
決してトップを争う主要候補の功績ではない。
〈インディーズ系候補者…初耳の言葉です。
泡沫候補、のことらしいのですが、インディーズの方がイメージいいですね。
その人たちの訴えに共通するもの…
これは大いに共感しました。
そして〝打破〟するためには…政治や選挙に無関心な国民に覚醒してもらう以外にない!
これも同感です。
我々ひとりひとりがしっかりしないと、良い政治家は生まれないし、ちゃんとした国にならない。
なぜなら日本が民主主義国家だからですよね。
独裁・全体主義の国ならば、中にいる国民がどうあれ、良くも悪くもトップの思い通りになる…国民ひとりひとりの意思とは無関係に。
とにかく7月7日は、投票に行きましょう!〉
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インディーズ候補者たちの政見放送は、まさに多様であった。