2024.5.1  産経新聞「満韓あちらこちら29」
喜多由浩 (編集委員) 氏
清水組…清水建設の話。



〝古城を思わせる関東軍邸〟
 〜満洲清水組の仕事〜


『曠野(こうや) に出現した都市  新京  満洲清水組の足跡』(平成27年) という本がある。

満洲清水組とは、現在の大手ゼネコン、清水建設 (本社・東京) が戦前の満州につくった現地法人。
同書は同社が満洲国の首都・新京 (現中国長春) で手掛けた建築物群を詳細な資料と写真 (※清水建設に残されていたり、当時の満州の建築雑誌に掲載されたりしたもの) でよみがえらせた。
それが実に幅広い。

満洲国の皇帝、溥儀の皇宮関係の建築に始まって、同国行政府の各施設 (財務部、経済部など) ▷関東軍 (司令官官邸) ▷満映 (満洲映画協会) ▷企業 (朝鮮銀行長春支店、三中井百貨店など) ▷学校 (大同学院、新京第二高女など) ▷記念建築物 (忠霊塔など) ▷陸上競技場…。

満洲清水組の歴史は、清水建設刊『清水建設百八十年』(昭和59年) に拠ろう。
《満州における開発建設事業は、いわゆる満州の建国 (7年) 後、一段と拡大した。
清水組満州支店の業務は著しく増加し、15年には、満州国法成立にともなって株式会社満洲清水組を設立…支店を東京におき、大連、奉天、遼陽、鞍山、牡丹江、佳木斯、安東、哈爾浜に出張所を設けた》

『曠野に出現した都市…』の著者、丸田洋二 (82) は17年、新京に生まれ、戦後、清水建設に勤めた建築技術者である。
丸田の父親は、鉄鋼関係の技術者として満州へ渡った。
生後100日のお祝いで、新京神社の前で撮った写真が残っている。
その後、奉天へ移って終戦を迎え、21年に引き揚げた。

「現役 (社員) のころは満州にあまり関心はなかった」というが、平成23年、同社の九州支店内に設けられた若手社員らとの勉強会をきっかけにして、〝生まれ故郷〟と深く関わることになる。

「10回は現地を訪れたでしょうか。
満洲国の新しい首都 (新京) をつくるために (日本の建設会社) 各社が奮闘したことが分かった。
60歳になるまで、それらの建物がこれほど今も残っているとは知りませんでした…」 

豪華な外観と内装

満洲清水組が新京で施工した代表的な建築物のひとつに関東軍司令官官邸がある。
おとぎ話にでてきそうな、ヨーロッパの古城を思わせる尖塔が印象的な建物だ。

同書の記録によれば、昭和8年5月に起工、9年7月に竣工している。
請負金額は32万8000円 (※当時の1円=現在の2000円で計算すると、約6億6000万円か) 。
同書には竣工後、関東軍から清水組に贈られた感謝状も載っている。
設計は関東軍経理部が担当した。

敷地面積約8万5000平方㍍に及ぶ広大な軍司令部の西側に位置し、地上2階、塔屋1階の煉瓦造り。
豪華なのは外観ばかりではない。
洋風の応接間、談話室、客室などに加えて床の間を備えた和室もあった。
1階ホールには、瀟洒(しょうしゃ) な大階段。
吹き抜けの天井には大きなシャンデリア。
大小の食堂に、ビリヤード場まで。
当時は内外のVIPたちがここに集ったことだろう。
建物は現存しており、戦後は長く、中国の宿泊施設として利用された。


つづく〜