2024. 4. 23  産経新聞「正論」

早坂隆 (ノンフィクション作家) 氏

映画「ゴジラ−1.0 」の中で描かれていた特攻隊・整備兵の生の証言、リアルな物語。





〝特攻への理解深める特別の日を〟



映画『ゴジラ−1.0 (マイナスワン)』が第96回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した。


私はこの大作を単なる「怪獣映画」ではなく、優れた「戦争映画」として観た。

なぜなら、私がこれまでに取材してきた多くの戦争体験者の方々の「叫び」のような言葉と、映画の中のセリフが何度も重なり合ったからである。


特攻整備兵の声


映画には、大東亜戦争中に特攻機の整備をしていた元兵士が登場するが、私はちょうど今年、その役柄と付合するような人物にお話を伺う機会があった。

三田村鳳治(ほうじ) さんは取材時、101歳。

九州各地の飛行場で、主に特攻隊の整備をされていた方である。


昭和20年3月、三田村さんは陸軍の飛行第一〇ニ戦隊の整備兵として宮崎県の都城西飛行場にいた。

軍務は、沖縄方面の防衛作戦である「天一号作戦」に参加する特攻機の整備だった。

映画には、元整備兵が出撃直前の操縦者と最後の会話を交わすシーンがある。

三田村さんは飛び立つ前の特攻兵の様子についてこう語る。


「操縦者に最後の説明をします。

操縦者はね、やっぱり心配なのでしょう、何度も納得いくまで質問してきますよ。

それを『大丈夫なんだ』と相手が思うまで言い聞かせないといけない。

安心させないといけない」


操縦席に座る操縦者に、桜の枝を渡したこともあったという。


「最後に彼らが言うのは『お世話になりました』という言葉です。

今でも心に残っています。

忘れられませんね」


同映画では「生き残った者たちの苦悩」が描かれるが、三田村さんも最後は出撃して特攻するつもりだったという。

しかし、ある准尉からの

死ぬのはいつでもできる。これからの日本をどうするのか、考えているのか?」

という言葉により、死ぬことよりも生きることを選んだ。

その時、三田村さんの心に宿ったのは、

助けられた命を次世代のために

との心情であったという。

偽りなき決意の抱懐(ほうかい : 思い浮かべることや考え) であったろう。


三田村さんは戦後、実家の寺を継いで住職となる傍ら、幼稚園を開設。

園長として子供たちの教育に尽力した。

「日本の再建は子供たちから」との思いであった。


「海の特攻」伏龍隊


特攻には航空機による「空の特攻」だけでなく「海の特攻」もあった。


片山惣次郎さんは「伏龍隊」の元隊員。

伏龍隊とは、専用の潜水具を着用して海中に潜り、先端に炸薬 (さくやく) のついた棒機雷で、敵の上陸用船艇を船底から突き上げるという「人間特攻部隊」である。


「潜っている間は目の前の作業を一つづつ『無心』でやるだけ。

潜水中は『国を護ろう』という気持ちも、『つらい』『嫌だ』といった感情も消えてしまう

ただただ『無心』でした」


結局、伏龍隊は訓練だけで、実際の戦場に投入されることはなかった。

片山さんは伏龍隊という作戦自体は「無謀」「無鉄砲」と断じた上でこう語る。



つづく〜