さださんが産経1面にコラム。
同感すること多し!
〝名前のない怪物〟
日本人は危殆(きたい) に瀕している (非常に危険な状態にあること) 。
まず面倒な仕事を嫌い、汗をかいてまでの大変な仕事をしたがらない。
僕は70歳を過ぎても汗をかいて面倒な仕事を続けているから胸を張って言うけれど、かつて「働かざる者喰うべからず」と言われた高度成長期の必死さは失せ、楽にお金を手入れる方法ばかり考えているようで哀しい。
しかも休んでばかりいる。
土曜、日曜が休みなら1年にざっと104日。
祝日と振替休日で年20日。
正月休みに盆休み、有給休暇を加えれば3日に1日はお休みという勘定だ。
30年に及ぶデフレとの戦争に疲れ果て、給料が上がらないなら休んだ方がまし、という諦めか。
頑張って働いても賃金が上がらないなら少しでもお金を多く呉れる場所へさっさと転職する時代。
人の技能や手腕は「我慢の上に咲く花」などという考え方はもう過去の遺物だろう。
昭和の子供は「お金は汚いもの」と教わったが今は違う。
その人がそれを得た手段や手法はさておき、とにかくその人の持つ「お金」を羨む時代。
お陰で罪を犯し、仮に殺人犯になろうとも簡単にお金を手にする道を選ぶ若者が現れた。
拝金主義の末路だ。
長い人生のいよいよ晩年を迎えた老人のなけなしのお金を掠(かす)め取って恥じぬ神経は、学校教育と家庭教育の賜物。
彼らの不気味な「心根」こそ社会が育てた名前のない怪物だ。
しかもその怪物の卵は平和・安全への油断と共に誰の心の奥にも潜む。
傍若無人な無法自転車や、スマホ歩きの信号無視とも決して無関係では無いと思う。
自分の都合が全てに優先するという考え方は怪物の顔の一つ。
誰が迷惑を被ろうとも自分の都合を押し通そうとするこの怪物、昔は利己主義と軽蔑したものなのだが、自分の心の都合が最優先されないとなると怪物は屈折して様々な形の牙を剥(む) く。
たとえば職場や学校での虐(いじ) めや、他人を汚すSNSの書き込みなどだ。
あらん限りの罵詈雑言や脅迫まがいの悪辣な言葉を吐き散らす本人が、普段は必ずしも悪辣な人物とは限らない。
誰とも会わずに済む「覆面」の卑劣さの発露なのだ。
時代劇では「卑怯者!名を名乗れ」と言う。
名乗らずに斬りかかるような卑怯は侍の恥というわけだが、今は勧善懲悪も鼻先で笑う時代になった。
さて仕事の話。
どんな仕事にも毀誉褒貶(きよほうへん : ほめたりけなしたり世の評判はさまざまである) は付きものだ。
人を羨んでもキリが無い、人を侮れば後はない。
淡々堂々と歩くことは難しいことだけれど、僕は幸運にも好きな仕事に恵まれ、好きならば苦しくても楽しく、どんな苦労でも我慢出来ることを仕事に教わった。
これ程の幸せは無いと、天の神様に心から感謝しているところ。
〈さださんのコラム、エッセーですね。
語りの達人、エッセーの名人…何年か前にエッセイスト・クラブの大賞をもらってますね。
子供の頃から国語がずば抜けて出来たんだそうです。
その上バイオリン〜音楽も、、小説も書くし。
このブログでも何度か、さださんのことは載せてますが、もう本当に天才です、この人は。
日本人、休み過ぎ…それは感じてましたよ。
数的に計算すると、3日に1日休みですか、、
〝名前のない怪物〟
名言というか、名キャッチフレーズ。
このタイトルで、新たな歌とか小説とか書けそう。
SNSの投稿に関しては、匿名をやめて実名にすれば良い、とさださんは語ってますね。
好きな仕事を続けて50年、運の良さもあるだろうけれど、その運を引き寄せる日々の努力、積み重ねが今日に至ってるんだと思います。
ただ、誰もが好きな仕事に就けるわけではないし、逆に誰もしたくない仕事というのもあるのであって、でもそれはやらねばならぬ仕事だったりして、、
好きな仕事に就けてる人は幸運ですね〉