2024. 1. 25  東京新聞

漱石の〝名もなき猫〟の記事。

今月22日は〝猫の日〟

猫好きの自分には興味深い内容でした。





〝あの「名もなき猫」の墓〟



日本文学史上、最も有名な「名もなき猫」だろう。

明治期を代表する文豪、夏目漱石のデビュー作「吾輩は猫である」の主人公、いや主猫公か。

そのモデルは実在した。

元々は野良の黒猫。正確には黒ずんだ灰色で虎斑(とらふ) があったそうだ。

1904年夏、当時、千駄木にあった夏目邸に迷い込み、漱石の妻、鏡子が猫嫌いで追い出したが、何度も戻ってきては「ニャン」。

あきれた漱石が「置いてやったらいいじゃないか」。それで居ついたという。


「吾輩は─」には猫がネバネバの餅を食べようとしてもがく「猫踊り」の場面がある。

これは実話で好奇心が強く、いたずら好きな猫だったようだ。

新宿区立漱石山房記念館の学芸員、鈴木希帆(まほ)さんは「布団の上に粗相をしたり面倒を起こすことがしばしば。怒られても動じない猫でした」と言う。

擬人化を思い付かせるには十分な大物だったのだろう。


当時、漱石はロンドンへの留学を終え、東京帝国大学の講師になったばかり。

留学時にストレスで患った神経衰弱がまだ治っていなかった。

俳句仲間の高浜虚子から「気分転換に小説を書いてみては」と勧められて書いたのが「吾輩は…」。

絶賛され、その後に「坊ちゃん」や「こころ」を書いて大作家となった漱石だが、猫が居つかなけれればデビュー作は生まれず、歴史は違っていただろう。


夏目家は07年9月、今は同記念館や漱石公園のある早稲田南町に転居。

その1年後に猫は物置の中で死んだ

恩義を感じていた漱石は庭で「埋葬の儀」を挙行。数人に死亡通知を書いた。

同記念館に残る通知は「『三四郎』執筆中につき会葬には及ばす」と漱石らしいユーモアで結んでいる。

虚子は「ワガハイノカイミョウモナキススキカナ」と電報を打ち、朝日新聞には「夏目氏の猫死す」と訃報が載った。



夏目家で飼われた生き物を供養するための石塔「猫の墓」

(左は説明する漱石山房記念館の亀山綾乃さん)


漱石山房記念館に展示されている「猫の死亡通知」のはがきの複製



猫の十三回忌に、漱石の義理の息子が石塔の墓を建立

45年5月に米軍の空襲で焼損したが、53年に残っていた石で再建され、今も漱石公園にたたずむ。

「漱石山房」と呼ばれ、芥川龍之介ら門下生が通った自宅も空襲で焼けたが、跡地に建てられた同記念館に書斎などが再現展示されている。

周辺には父、直克が命名した夏目坂、鏡子が情緒不安定だった漱石の虫封じにお参りした、穴八幡宮がある。



再建された「猫の墓」の除幕式

左は漱石の妻・鏡子=1953年12月9日撮影




ところで、猫が迷い込んだ千駄木の夏目邸。

漱石の前には作家、森鴎外も住んでいた木造家屋で、愛知県犬山市の博物館明治村に移設されている。

日本医大同窓会館の敷地になった元の場所には記念碑がある。

今、地元民が世話する「猫街」で知られる「谷根千 (谷中、根岸、千駄木)」。この地は漱石文学が発祥した「猫の街」でもある。


文・鈴木信幸、写真・田中健 

誌面構成・志沢あれん 




〈漱石にとっては〝恩人〟のような存在。

死亡通知に、墓、、すごいなあ。

作家 (漫画家も) 洋の東西を問わず猫を飼っている人、とても多いですよね。

いろんなインスピレーションを与えてくれる存在のようです。

そして何より癒し、精神的な緊張感をほぐしてくれる存在。

今もそうですよね、ネットにもたくさんアップされてます、、犬や他の動物たちもそうですね。

みんな可愛いのですが、猫ほど優雅でユーモラスでコミカルでミステリアスで…様々なイマジネーションを掻き立てられる存在はないと感じてます〉