2024.1.24 産経新聞「満韓あちらこちら 22」
喜多由浩 (編集委員) 氏
主として寮歌の話。
おじん記者のボヤキ節?炸裂、か!
〝このまま消えていいのか〟
〜外地の寮歌〜
戦後ニッポンの強みだったカネ (経済) や技術はもはや頼りにならず、次代を担う若者たちは挑戦よりも安定が大事だとヌカしよる。
「自由と民主主義」は何より尊いと教わったわれわれをあざ笑うかのように、強権的な国家が、わがモノ顔でゴリ押しを続けてもなすすべなし。
残念ながら権力のチェック機能 (メディアや野党) も低下しているから、緊張感が薄い政権与党は、あのテイタラクだ。
政治とカネの問題だけじゃない。
アメリカの〝属国〟のごとく扱われたり、中国や朝鮮半島の国々にやりたい放題にされたりしても、反論ひとつできない今の政治家センセイや官僚の情けない姿…。
新年早々、日本の将来について暗澹たる気分になるのは、おじん記者だけか?
明治から戦前に外地へ飛雄した人々の物語を書いていると、日本人というのは、もうちょっとホネのある民族だったのではないかと思う。
人間のスケールや発想の大きさ、ハラ (覚悟) の据わり方が、だ。
こう書くと「時代」でひとくくりにするな、と怒られそうだ。そうかも知れない。
だからおじん記者の勝手な〝思い入れ〟として読んでもらっても構わない。
その上で、かつて国家を背負って立ち、外地で列強と渡り合う人材を育てた「旧制高校の教育」の面白さについて書く。
改めてその気になったのは、本欄でもすでに触れたが、昨年11月下旬、コロナ禍を乗り越えて、旧制高校の寮歌などを歌う「日本寮歌祭」が4年ぶりに開催されたことと無関係ではない。
特に戦後、諸外国のみならず、日本国内でも〝まま子扱い〟されてきた外地の学校出身者について、いささか「思うところ」があったからである。
自治・自由の寮生活
多くの読者にとっては「寮歌って何?」となるだろうか。
校歌ではなくて、なぜ寮歌なのかという方もいるだろう。実はそこがミソだ。
寮歌は、明治の時代から昭和25年まで存在した旧制高校 (※全38校。外地、帝大予科を含む) などの学生が自らつくり自ら歌った寄宿寮の歌である。
著名な寮歌には『嗚呼(ああ) 玉砕に花受けて』(旧制一高・東京) 『紅(くれない) 萌ゆる』(同三校・京都)『都(みやこ) ぞ弥生』(北海道帝大予科) などがある。
100年を超えて歌い継がれている歌も少なくない。
後に著名な歌手がカバーし、ヒットした寮歌もある。
加藤登紀子らが歌った『琵琶湖周航の歌』(同三校)小林旭などの『北帰行』(同旅順高・関東州) がそうだ。
同世代の1%以下で、国を背負って立つ真のエリートを育てた旧制高校の教育の神髄は「自治」「自由」を掲げた寮生活にこそ、あった。
その精神の象徴が寮歌である。
寮は学生が委員会をつくり、自ら運営、18歳から20歳くらいの若者が校長などの「学校側」と堂々と渡り合っていた。
寮には警察だって簡単には立ち入れない。
もちろん「権利」とともに「義務 (責任)」が伴う。
財政や規律などの面でも学生の責任において管理していたのだ。
旧制高校の生活ぶりやナリ (見た目) も自由奔放、極まりない。
哲学や文学といった、すぐには何の役にも立たないような学問 (教養教育) を存分にやる。
寮では、むさぼるように本を読み、学生同士で朝まで議論を戦わせた。
そうやって「人間」を磨く。
偏差値や受験勉強に追いまくられる現代の若者には、この余裕がうらやましい。
つづく〜