2024. 1. 31 産経新聞「話の肖像画」
最終回。
海援隊の再結成、コンサートはどこも満席!
〝目指すものが違った、この道を行く〟
《昭和57年に解散した海援隊は
再び結成された》
歌を歌いだして20周年記念の年 (平成4年) だったと思います。
横浜アリーナで歌を歌いつつ自分を振り返るステージだっんですけど、やっぱり海援隊は大事な過去だということで、千葉和臣と中牟田俊男と3人で久しぶりにやろうって言って。
ソロのときは大きいバンドをつけていたんですが、生ギター2本でやると、なんとも身軽で。
左右見たら千葉と中牟田という10年一緒にやった仲間がいて、あんばいがいいんですよ。
奴らもよくしたもんで、私が歌の入り口を間違えても待っているんです。
同じコードを弾きながら、ずっとこっちの顔を見て。
歌い出したらそこからメロディーが始まる。
語りながら歌うことが可能なんです。
するとバックバンドの諸君が「武田さん、続けたほうがいいですよ」と言い始めたんです。
ものすごくチャーミングですよ、って。
海援隊に少し照れがあったんでしょうね。
ライバルがすごすぎたんです。
チューリップ、井上陽水、南こうせつとか。
勝てないんですよ。
財津和夫の持つサウンドへのこだわり、井上陽水の能力、それから同じ事務所で戦い続けた谷村新司がいて。
彼らのほうがはるかに才能がある。
それに比べて自分は…と。
最近ようやく分かったんですが、目指しているものが違ったんですね。
比べようのないものを遮二無二比べて負けたと思っていたんじゃないかと。
海援隊は海援隊でいいんじゃないかと、この年でやっと分かって。
やっぱり谷村さんの「昴」はできませんわ。
陽水さんの「心もよう」、財津さんの「青春の影」とか、あんなの、私にはできませんもの。
アリスが「チャンピオン」というリズム軽やかな、敗れていくボクサーの悲哀を歌ったとき、なんとか追いつきたくて作った曲が「あんたが大将」でしたもんね。違いすぎますよね。
谷村さんと同じ事務所にいて、社長から「売れるきっかけになるから2人とも頑張って作れ」と命令を受けたのが、国鉄のコマーシャルソングでした。
谷村さんが作ったのが「いい日旅立ち」で、僕が作ったのが「思えば遠くへ来たもんだ」なんです。
もちろん採用されたのは谷村さんの曲で。
「負けた〜!」と思ったんですけど、あれはあれなりによかったなと。
つづく〜