2024. 1. 26  産経新聞「話の肖像画」

龍馬の映画化の挫折と、フジ月9の伝説の名ゼリフを残したあのドラマ、いよいよ来ました。

そこにたどり着くまでが、,やっぱり面白い!





〝思いが映像にならない…無念〟



脚本・主演を務めた坂本龍馬のテレビドラマは評判を呼び、昭和61年公開の映画「幕末青春グラフィティ Ronin坂本龍馬」を制作したが…



思いが全然画面にならないんですよ。

33歳で龍馬のドラマをつくり、3年間準備して36歳のときに映画にしました。

スタッフそれぞれに狙いがあって、監督は日本映画の傑作にしたいと言うし、カメラマンは撮影賞ぐらいとりたいと個人的に夢を持っていて、私がやりたいことが全くできないんですよね。


映画としては決して不出来ではないかもしれないけれど、ドラマのときの、私の思いが映像になっていくという快感が全くなかったんですよね。

30代になって初めてのつまづきでした。

無念ですよ。

演出家からは徹底してセリフのカットを命じられ、カチーンとくるようになって。

作りたかったのは、この映画ではなかったという倒れるぐらいの失敗作。

2年か3年ぐらい立ち上がる気力もなかったんじゃないかな。



そんな武田さんに再び転機が訪れる



深く下を向いている時代が続いたのですが、40歳を過ぎたら格別の仕事が2本、来たんですよ。

1本はNHK大河ドラマ「太平記」で楠木正成をやってくれないかと。

楠木は謎の人物ですが、司馬遼太郎さんのエッセーの中に楠木のことが書いてあって。

河内の土豪・楠木正成は感じのいい人であった」と。

もう何かを取り返すようにやらせてもらいました。

土臭く演じて。すごく好きでしたね。


同じ時期に民放から、女性に恋をしてどうしょうもなく純愛に生きようとする中年男のみったもなさを演じてくれませんかって来たんですよね。



フジテレビ系で平成3年に放送された「月9」ドラマ「101回目のプロポーズ」だ



山田良明と大多亮という名物プロデューサーがいて、2人から東京・青山の小料理屋に呼び出され、やる、やらないの話になったんです。

山田さんが冷静に、金曜日夜8時放送だったTBSの「3年B組金八先生」が (昭和63年の第3シリーズは) 月曜日夜9時に移動したもんだから、えらい迷惑こうむったって。

随分恨みに思ってたらしいんですよ。



つづく〜